先日の衆院選の結果を受け、ニュース記事やSNSの投稿などを眺めて考えたことをつらつらと書く。
事前の報道通り自民の大勝という結果になり、まあこれが覆ることはないよねという気持ちで結果を受け止めた。ただ、首相が変わるだけでこんなに票が動くことが本当によくわからなくて、何故だろうと不思議だった。
その不思議に思う気持ちをそれなりに解消してくれる記事に出会うことができた。『高市内閣支持すると答えた200人に理由を聞いた 返ってきた答えは』という朝日新聞の記事だ(有料会員でないと全文読めない記事だがたまたまプレゼント記事になっているものを読ませてもらった)。
この記事を読んで、人は割とふわっとした印象や雰囲気で候補者を選んでいるものなんだな、と感じた。「女性だから」という理由を話す人もいた。わたしは「女性だからなんだよ」と素通りしていたが、初めての女性首相であることに期待や希望を持つ人も世の中に多くいそうなことを知った。もしかすると、誰かこの世界を変えてくれないか、というぼんやりした願いを乗せやすい器がたまたまそこにあったのかもしれない、とも思った。これまであったものではダメだから新しいものに期待したい、というのは自然な感情として理解できる。そのような多くの人々の感情を上手く乗せるための戦略は行われていたのかもしれないが、わたしは何もわからない。
わたしは自民の方針に賛同できないという結論に至り票を入れなかったが、上記のようなふわっとした理由で自民に投票した人たちのことを嫌悪しないよう努めなければと思う。「大して何も考えてないのに」などと言い出したら終わりだ。考えて投票した者が優れていてなんとなく投票した者が劣っている、そんなことはない。どちらも票としては同じ一票である。ただ、考えて投票することが無駄ではないとも思いたい。わたしは考え続ける姿勢そのものに価値があると信じているし、その先で得るものもあると信じている。
昨日LINEで配信されていた『「1票の重み」21票でついた決着 勝者と敗者の言葉 北海道10区』という朝日新聞の記事には、一票の価値について改めて考えさせられた。
実は自分の在住地でもこれに似たようなことが起きた選挙区があった。選挙当日の早い時間に開票速報が流れず、すぐに結果の出ない接戦であることは予測できていたが、翌日に開票結果を見て驚いた。地方選挙でなく国政ですらそういうことが起きる。「投票する意味、めっちゃあるじゃん!」とひっそりと前向きな気持ちになっていたのであった。これからもくじけず真面目に投票しよう。
最後に、選挙当日に投稿されたぬまがさワタリさんのブログ記事『選挙結果に絶望した人に見てほしい地図』を紹介したい。
絶望してもノーと叫んで希望の斧をぶん回していく。そういう人間も世の中には必要で、それが多様であるということではないだろうか。ただ希望を正義と勘違いしないよう注意しなければならない、と自戒を込めて思う。