ひとりっ子を選んださびしさ

もてこ
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公開:2025/10/26

“わたしの住んでる地域、体感としてひとりっ子よりきょうだいいる子の方が多いんだけど、それを思い知るたびにちょっと落ち込んでしまう。”と、昨日Blueskyで投稿した。

わが家はわたし(母)と子ども1人のシングル家庭で、夫は2年前にがんの治療中に亡くなっている。ただ夫が今も健やかに生きていても子どもは1人しかいなかったと思う。わたしは子どもを産んでから一度も「もう1人子どもがいたら」と思ったこともないし、「もう妊娠したくない」とも思っている。子どもがこれ以上増える状況を特に大きな葛藤もなく避けたいと考えている。夫にそういう話をした時は、「自分はもう1人いてもいいと思うけど、あなたがそう言うならそれでいいよ」みたいな態度だった記憶がある。加えてわたしは子育て不得手側の親であるという自覚もずっとある。子どもとの接し方はずっとよくわからないままで、絵本の読み聞かせはしたくないし、子どもの遊びに付き合うのも面倒くさいと思っている。

子どもの存在による仕事の制約をなるべく受けたくないとも思っている。意地のようにフルタイム勤務を貫いているのは、一馬力の収入しかないのもあるけれど、それで仕方なくというよりは仕事をしている自分が好きだからじゃないかと最近考えている。仕事は特別好きじゃないけれど、仕事をがんばっている自分のことは割と好きなんだと思う。できることなら何にも縛られずに仕事をしたくて、それには子どもの存在が枷になることは認めざるを得ない。子どもがいるからこそがんばれている面ももちろんあるが、産休育休から始まり保育園を決めて職場復帰、みたいな一連の流れをまたやりたくないし、それ以降も子どもの人数が増えれば間違いなく負担が増えると思うと自分には想像だけでお手上げである。

このように複数の観点から導き出される結論が「わが家はひとりっ子」なのだが、周りを見ると在住地域でのひとりっ子家庭の少なそうな印象(統計的な根拠はなく自分の観測範囲内の印象)に愕然とする。それは否定ではなく、わたしの結論ってそんなに少数派なのかという疑問や驚きが入り混じった反応である。また、少子化少子化と世間で声高に叫ばれている主張との乖離にも違和感を覚える(ただし例えば3人きょうだいが2人になっても人数としては減るわけなのでありえないことではないとは思う)。

そして自分の中でこれだけ理由が明快になっていても、どこか落ち込んだような気分にもなる。自身の母として不出来さに落ち込んでいるのではなく、自分に近そうな属性の人間をなかなか観測できないことへの悲しさや落胆がある。子どもを育てながら仕事をこなしてひいひい言ってるギリギリワーママと、うっすらとした仲間意識を持ちたい。親しくならなくていいから、似たような生き物がいることをただ認識するだけでいい。

みんな大変だとは思っている。家庭を運営するための苦労がそれぞれにあるはずだ。例えばわたしはほとんどの家事を実家の家族に任せていて、その点では楽な環境にいる。夫が死んだ後に子どもと二人暮らしをしていた時期に、家事も仕事も育児も全部やるのは無理だと悟ったので実家に住まわせてもらう選択をした。外で仕事をする方が大変だとか、家にいる時間が長くて羨ましいとか、そういうことを言いたいわけではない。世界で1人きりで闘っているようで時々寂しくなることがあるというだけだ。