照りつける太陽の眩しさに眩暈がする。体にまとわりつく暑さでもうふらふらだ。こもった熱のせいか、頭がぼんやりとしてきた。取り止めのない思考の中で、あの日あの場所のことを思い出す。夏は郷愁と追憶の季節なのだ。
山に囲まれたその集落はいつもはとても静かなのだ。それでもこの時期だけは、暑さを一層に引き立てるようにジージーと蝉の声が響き続ける。近くを流れる小さな川で冷やされたスイカを祖母が六等分に切り、お盆に乗せて持ってきた。縁側で足をバタバタさせながら、手が汚れるのもかまわずに大きな口を開けてかぶりつく。柔らかな風が軒先に吊るした風鈴をチリリンと鳴らした。音につられるように空を見上げる。そういえば、今日は花火大会だ。スイカの皮を盆に戻しながら、東の空の入道雲を横目で見る。雷にならなければいいのだけれど。
なんて、過去はない。全然ない。縁側のある家には行ったことすらない。それでも何故か存在しない、『あの夏の日』の記憶に強烈な切なさを覚えてしまう。アニメやドラマ、小説、そして誰かの思い出話がいつしか自分の記憶の一部となってしまっているのだろうか。帰る田舎なんてないくせに『サマーウォーズ』であの家に集まる大家族をみて、心がギュッとなってしまうのはきっとわたしだけではないはずだ。
その夜近所で行われた花火大会の特等席は、自宅二階の廊下だった。父と母と兄弟と共に、北側を望む天窓を見上げた。次々と打ち上がる花火は嘘みたいに大きくて、頭上に落ちてくるのではないかと思うほどだ。ドーンという火薬の音が体の芯まで響いてくる。
これは本当の過去だ。それでも、あの日あの場所にいることと、それを思い出すことは全く違う。これがわたしの過去なのかそれとも空想の物語なのか、他者から見ればそんなのどうだって良いことだろう。自分ですら、どこまでが本当のことなのか言葉の体裁を整えようとする度にどんどんとわからなくなっていく。実のところ過去と物語に違いなんてないのではないか。今ではないいつかを思い、ここではないどこかに胸を締め付けられる、今ここにいるわたしが本物なのは本当で、その感情を呼び起こしたものが本物かどうかなんて、今とはなっては些末な問題だ。
こもった熱でぼんやりとした頭の中、わたしの過去と誰かの物語が混ざり合い、全ての『あの夏の日』がわたしの記憶となっていく。