わたしのかたちの場所にかえる

りえ
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公開:2024/10/10

北海道の函館市と札幌市、そしてその間にあるいろんな町に行った。行った、というか帰省したの方が正しいのかもしれない。でも函館市で生まれたとは言え、生まれただけで育ってはいない。札幌市も今家族が住んでいるというだけで、わたしに縁の深い街ではない。

わたしが育った北海道の港町にはもう何年も行っていない。そこにわたしの家族は住んでいないし、会いたい人も誰もいない。観光地ではなく、鉄道も通っていないその町に、これから先再び訪れることもないだろう。

自分の居場所がここではないという感覚がずっとある。1番最初は幼稚園の時で同じたんぽぽ組に仲の良い友達は誰もおらず、みんなでままごとをして遊んでいる時に1人折り紙を折っていた。新しい幼稚園のはまなす組に移ったあとはもっと悪かった。毎日、本当に毎日、ピンク色の汽車の形をした幼稚園バスの前で泣いていた。それからずっと何かが間違っている感じがする。ぴったりしない。しっくりこない。わたしのかたちのピースだけどこにも嵌める場所がない。今もずっとそう。

帰省した。改めてここは私のいる場所じゃないと思う。でも、そもそも私はもうここのひとじゃないから、そもそもここの人だったこともないから、ぴったりこなくても悲しくはない。

生まれた場所には『あずましくない』という言葉がある。この言葉にぴったりあう標準語を見つけることができない。落ち着かないとか、居心地が悪いとかそういう意味なのだけれど、ビミョーなニュアンスが難しい。でも今、『ぴったりしない』は少し近いかもしれないとふと思った。

今いる場所はほんの少し、わたしのかたちに似ている気がする。少なくとも、帰省する町よりもずっとそう。この世界のどこかに、もっとぴったりわたしのかたちの隙間があるのではないかと馬鹿げた期待をしてしまうくらいには、似ている気がする。いつか、どこか、もっとあずましい居場所へ、わたしがぴったりおさまる場所へ、かえりたいと願ってしまうくらいには、似ている気がする。