データこそが価値(ギラギラ)というのはある側面で真だけれど、データにも生き死にがある。自分もいつか死ぬし、企業はもっと早くに死ぬことが多いし、これからは自治体もなくなるかもしれない。ハードディスクやPCの限界もあれば、クラウドだって100%ではない。ファイルそのものが壊れることもある。儚いなと思う。明らかにミスった写真にも愛着が湧いちゃって、なかなか捨てられずにいる。データ化するのもばかばかしい。雪の多い日はこういうことをつい考えてしまう。日常riijon何年も経ってから、その時間を感じることなく暖簾をくぐれる場所は本当に尊い。悠久のタイムスパンを意識して開発したいweb developer