「サイラー ナラシムハー・レッディ 偉大なる反逆者」を観ました。
これもイギリス統治下のインドの反乱についての映画。ナラシムハー・レッディも実在人物。「も」というのはRRRの主人公ふたりを指している。
イギリス、というか植民地の支配者側が被支配者に何をするかというところについては、「RRR冒頭の硬貨数枚で娘を買う」みたいな人を人とも思わぬ行動が次から次へと描写される。実際されたこともあるだろうしもっと悲惨でもあっただろうと思う。他のインド映画を観てもやっぱり支配されたということの傷はまだ遠い過去ではないなと思う。し、その反省(分断された、連帯できなかった)が見受けられるように感じる。K.G.Fとか。
(植民地支配から)自由を掴むための闘いがテーマになった映画について、RRRのときも感じたが自分は「支配していた側の国」の人間なんだよなという事実が頭の隅をちらついてしまう。特に本土の人間であるし。韓国などに日本の植民地支配への抵抗を描いた映画とかあるのかな。あるなら観るべきの気もしている。韓国映画をそもそも全然観られていない。
サイラー本編の話について。ラクシュミーという踊り子が、歌と踊りで遠くの地域(言語、民族を超えて)にナラシムハー達の活動を知らせ、民衆を立ち上がらせるシーンがある。RRRにも通じるが、歌・踊りの力やそれに感化される民衆の力を信じているのだ。歌・踊りはその国の文化に根付いたものである(実際作中でも「侵略のために文化を破壊しろ」というくだりがあった)。そして、歌・踊り(=文化)の力を信じるということは映画の力も信じているということではないか。
もっとがっつり身分制度だったり民族間の軋轢を描いた作品は他にもあるのだろうけど、どの作品も何かしらの言及は大体あるように思う。サイラーも「民衆(ごとき)が戦うのか」みたいな領主たちの会話であったりタミル圏の若者が「同じ母なるインドの息子だ」と加わるシーンがあった。
昨年だとトットちゃんやヴァチカンのエクソシストが「実在人物を扱っているので、当該人物が長生きしている時点で作品のメタ的なネタバレ(主人公は無事)になっている」というものがあった。サイラーはむしろナラシムハーが死んで物語は終わるわけだが。ただ、現在インドが独立国家として存在していること自体がサイラー全体の物語のメタ的ネタバレ……もっと言うと彼らの満願は成ったということに他ならないのだ。
それにしても首が飛んだあとの胴体と、まるで頭のように重なる太陽の構図に凄みがありすぎた。またRRRとの比較になってしまうが、RRRのビーマが(多分本人の意図せずして)象徴になってしまったのに対してナラシムハーは領主であるというのもあるのか、年に一度の儀式のせいもあるのか自分から象徴であろうとしていると感じた。実際に頭がよく度胸があり武道の面でも精神面でも強い人間ではあるしアクションシーンはとても迫力があるのだが、周囲の人間が死ぬ度に名前を叫んで慟哭したり仲間とのすれ違いにより裏切られ殺されるなどはやはり「万能」ではないのだと思う。あとインド映画って全然子どもも抵抗の結果殺されたりするけどこれはある種「戦士」であることに年齢など関係ないということなのかもしれない。また、暴力の虚しさも感じる。抵抗は必要であるがそれによって失われる命などあっていいわけがないので。侵略戦争は本当に最悪(時世を思い出して)
また、一人の男に二人のヒロインがいるタイプのインド映画初めて観たかもしれない。実際はもっとあるのだろうけど。でもどちらのヒロインが勝つとか負けるとかではなくそれぞれに違った役割を全うするし互いへの尊重があるという描かれ方は好きだった。
オタクとしてはアヴク・ラージュが「我が王は裏切っていない」と言うあたりのくだりとか最後島流しにされるときに「死のときまで共にありたかった」というの好きだ。アクスタ売ってくれ。あとインド映画は女性キャラクターのアクスタが全然発売されないので出してほしい。他作品だけどパターンのディーピカ様のアクスタとかバーフバリのシヴァガミとか欲しいよ。