『鼻を食べる時間』という本を買った。
タイトルが不思議で手に取って、エロ自由律俳句と書いてあるのを読んで意味がわかった。そういうことか。鼻、食べるよね。そういう時間がある。耳でも唇でもなくて、鼻を食べる時間。「別れて少し残った方言」とか「帰れるくらいの雨で目が合う」とか、エロいというよりエモい感じで、良い句集だった。
「エロ」という言葉は、扱い方も受け取り方も難しい時代だし、この本の場合はもっと他に合う言葉があればいいのにと思う。テーマとして想起させたい情景はわかるから。
そしてこういうものは、そういう話が通じる人と感想を語り合いながら楽しむのがいいなと思い、そういう話が出来る友達にLINEをして、共有しながら読んでみた。
こういう時にそういう話を気楽に出来る友達がいてありがたい。その人は元恋人でもあるので、恋愛や性愛や社会的にしてはいけない話も共有出来る。お互いのダメな所をよく知っているから。
その友達は異性なので、同じ句から思い浮かべる景色が違うこともわりとあった。「あー、そっちかー!」と何度も思ったし、わからない句を意外な視点で解説してくれて学びもあった。
恋愛や性愛の具体的なエピソードには、大きな失敗や人を傷つけた言動や外に出せない恥ずかしい話が含まれるものだから、どうしても共有出来る人が限られる。元恋人と友達になってみたら、思っていたよりもお互い楽しくちょうど良く話が出来るようになった。お互いを許しあえている感覚があるのが大きいかもしれない。
一般的にそういう関係性がどれくらいあって、どう認識されるのかはわからないけれど、人と人の関係性は個別具体的なものであって、再現性が無くてもいいはず。再現性が無いものは名前が付けにくい。私はこの関係を表す厳密な言葉を見つける必要を感じていないので、大雑把に「友達」と呼んでいる。個人的な関係性を結ぶ2人の間でよければ、それでいいはず。
人は他人の関係性に勝手に名前を付けて呼ぶけれど、気にしないでいたい。その人達の関係性はその人達にしかわからない。でもまあそういう他人の話が好きなのも、社会の中で生きる人間だなとはよく思う。人の恋愛や性愛の話を聞くのは楽しいもの。