インスタに文章を書こうとすると、しっくりこない。しっくりこないまま書いている。
考えていることは同じなのに、Twitterともしずかなインターネットとも違っていて、思うような形にならない。でもそれは当たり前の事ではある。形が変われば表現は変わるものだから。
書く場所が変わっても「文体」のようなものは、たぶんあまり変わらない。私の場合はmixiで色々と書いている時に自分の書き方を見つけて、それが基本となって今に繋がっている。当時よく読んでいた「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツから受けた影響も大きい。
もちろん、テーマも変わらない。ここ10年くらいは、仕事や本や話した相手やインターネットから学んだことを何度も考えているうちに、今大事にしているいくつかのテーマに行き着いた。大きく言うと「相手をひとりの人として尊重する」というようなこと。そして、読み取れるように書く、難しい形にしないということ。(この辺りはまた書ける時に書きたい)
Twitterでコーヒーアカウントを始めた時には、既にそのテーマを形にするイメージが出来ていた。だから、あそこでは最初から言葉に気を遣っている。書かない方が良いと思うことは一度も書いていないし、良くないと思うノリにはのらないようにしている。
Twitterという場所には慣れ親しんでいたから、新しくアカウントを作ってもすぐに馴染んでいけた。そのおかげで通じるものを感じとって関わってくれる人がいたんだと思う。ちゃんと意識して(悪い所が出ないように)使えば、得意な器。
しずかなインターネットは、見た瞬間から好きな形をしていた。持ってるものをそのまま盛るだけで良かった。自分に合った得意な場所。最初から使いやすい、好きな器。
インスタはまた違う。まだ馴染めそうな感覚があんまり無い。前からずっと見ていたけど、自分では発信してこなかった場所で、形として自分のやりたいことに合っていないから。そもそも写真(と動画)が主体で、文章での表現には向いていないのかもしれない。使いやすい器ではないし、上手い使い方もまだわからない。
それでもインスタを使うことにしたのは、Twitterという場所が壊れてきたから。元々は趣味の楽しみを共有する場所としてはTwitterが最高だったのだけど、色んな変遷があって、今は見るだけで少しずつダメージを受けるようになってしまった。壊れた道具を使い続けるといつか自分も周りも大きく傷つくことになる。
趣味や考えた事について発信するのは続けたい。自分が楽しいし、必要なことだと思うから。今までに発信してくれた人が沢山いて、そのおかげで得たものが沢山ある。だから自分も同じように、自分なりのやり方で発信しておきたい。そんなに広く伝わらなくても良くて、必要としている人が1人でもいればいい。技術的には拙くても、表現し続けると必要な人に届くことがある。そういう実感は最初に書き始めた頃からずっとある。