聞いてほしいという程でもないけど、そこに誰かがいたら呟きたくなること。報告する程でもないけど、つい話してしまうようなこと。
欲しかったものを買い忘れたとか、仕事でちょっと面倒だったとか、今見かけた人が誰かに似ていたとか、あいつは本当にしょうがないなーとか、来週暑くなるらしいよとか、ガリガリ君の袋と間違えて本体をゴミ箱に捨ててしまったとか、その時のゴミ箱の底を打つ音が大きくてびっくりしたとか。
そういう独り言にもなるような、伝える必要はないけど、その場に誰かいたらちょっと話してしまいたくなること。
そういうものをぽろっと話せる相手が、いつもみんなにいたらいいのにと思う。
そういうものを呟くのにTwitterはすごく向いていたし、それを見るのを楽しむ人も沢山いた。良い場所だった。でもネット上の発言は、小さくても全世界に届くから、プライベートやネガティブな内容は呟けなくなっていく。それは仕方ない。
どうしたってみんな愚痴や文句や恨み言はあるものだから、それをどうにか外に出せる場所があればいいのに。
私は個人で営んでいるコーヒー屋さんに行くのが好きで、そこでよくお店の人と話をする。コーヒーについて質問したり、感想を聞いてもらったり。コーヒーとお店が好きだから、コーヒーとお店について話したい事がある。
コーヒー屋さんはコーヒーとお店の事を毎日沢山考えているから、私よりもっと話したいことがあったりする。内容によっては話せる機会が無くてたまっていたりもする。だから、お店の人の話を聞く事も多い。私は人の話を聞くのが好きだから、いつも考えている事を話してくれると楽しい。どんどん話してほしい。お店と客の立場なので、話しにくい事ももちろんあるだろうけど。
日常的に何かを呟いて聞いてくれる相手がいるのは、思っているより大きな事かもしれない。ちょっとずつ出して受け取ってもらえる事で、全体が上手く回るようになっていたりするから。そういう日常的な小さな感情のケアを、もう少し具体的に意識しても良いのかなと最近よく思う。
ここに書く事も、人の書いた記事を読むことも、そういう日常の小さなケアの一部になっているかもしれない。
これも「ケア」というテーマで考えている話。