あまり意味を考えてはいないのだけれど、月が見えた時によくTwitterに呟いている。
月を見たと言うだけで、どうやら叙情的に感じられるらしい。確かにその時の気分はあるけれど、言葉にのせて伝えたい程のものはない。ただ、こんな月が見えたよーという呟きをしている。
今日は月が見えない。新月なので。でも3日前に、昇る陽に追われる明けの三日月を見れたから、そろそろ新月の日だろうとわかる。見えない月がそこにいることは知っている。

私は早起きなので、陽が昇る前に目覚める事が多い。月が満ちている頃は、夜明け前の西の空に沈む月が見えるのを楽しみにしている。だから朝4時に明るくなってしまう夏は苦手。目が覚めた時はまだ暗い世界でいてほしい。明るいと追われている気分になるから。
冬の朝5時頃に西に沈んでいく満月は、17時過ぎに東から昇ってくる。だから朝に見ておくと、1日2回満月を見る事が出来る。今日2度目の満月が見れたなーといつも嬉しくなれる。なんだかお得感があるので、早起きする人にはおすすめしたい。
振り返ってみても、やっぱり綺麗な月を見て良い気分になれる以外に、特別な意味は無い。それでも詩的なものを感じてくれる人がいるようで、その感性は近いものがあるのだと思う。ただ、月を見た人の感覚と、他人が月を見てそれを言葉として受け取った時に感じるものはまた別のものなんだろう。
私はどちらかというと、人が言葉にして伝えてくれたものを受け取る方が好きなので、みんなももっと月を見て呟いてくれたらいいのにと思う。