今年は悲しいことばかり起きていて、悲しみながら生きている。昨年も相当しんどかったのに。
もちろん悲しみながらでも生きてはいけるし、生きていくしかないのだけれど、この状態をずっと続けるのは無理だなーと思う。
人生に悲しみは生まれるもので、それは時間をかけて受け止めて癒しながら進んでいくしかなくて、だけどやっぱり重ねて来られると無理がある。受け止める時間も癒す時間も取れなくなってしまう。それでも生きていくには、考えないようにするしかない。その問題が無かったかのように。そうやって問題を見ないことに慣れていくようになる。
人が死ぬと、その人の時間はそこで止まってしまう。LINEはもう既読にならない。
高校生の時に亡くなった友達は、ずっと高校生のまま。それがすごく悲しいことだと感じるようになったのは、大人になってからだった。悲しみはその瞬間だけでなく、後から追ってくるものでもある。思い出す度にまた違う自分で悲しみを受け止める事になる。
幼い子どもを亡くした親が、例えば十数年後に大学生を見て「あの子が生きていたら今これぐらいの歳だな」と思うという話を聞く事がある。その感覚が私にはずっとわからなかった。だって、その人の時間はもう止まっているから。そこから先の未来を想像出来ないし、想像する感覚もよくわからなかった。
でも今は、あれは悲しみを受け止めきれないからなのかもしれないと思うようになった。人の時間が止まってしまうのはとても悲しいことで、それが幼い我が子であったら、自分も受け止められる気がしない。想像だけでも、そこに未来を見たくなるかもしれない。事実をそのまま受け止められるようなものではないかもしれない。
最近の自分は、悲しみながら何とか生きていて、まだ身体も心も崩れてはいないのだけど、このまま続けるのは難しい気がする。無理をしている。無理はしないほうがいい。
でもね、やらなきゃいけないこともあるし、やりたいこともあるし、生きていかないといけないし。困ったね。
フォロワーさんが紹介していて知った曲。
誠実に向き合って生きるのはしんどいものだけど、そうやって生きる人を応援したいと思う。でも、あんまり無理をしないでねとも思う。
とりあえず今日はおいしいコーヒーを飲んだし、今夜はよく寝て、明日も生きる予定です。生きている人には、まだ未来があるからね。