犬の短歌2023冬 #2 エッセイ1

rimoy
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物ごころついた頃からうちには犬がいて、その犬たちにしかわかってもらえないことがあった。当時は外で飼っていた、その犬小屋ーボブハウスL、と書いてあった、青い屋根の犬小屋であった。だから、文字ばかり追う癖のある私は誰もそんなふうに呼んでいないその小屋のことをひとりだけずっと、ボブハウスエル、と呼んでいたし、とっくに撤去されたいまもそう呼ぶ。

そこにほとんど体を入れて、犬に理解を求めていた。幼児のころはまだしも、記憶の限り中学生に上がる前、あるいは上がっても、そうやって自分の体をボブハウスLにねじ込んでいた。

犬小屋の外では、私の微妙で言葉にならないような、言葉にしたくないような寂しさや、恥ずかしさみたいな、小さくなっていく声は、めぐまれた明るさに照らされると、怒りやかんしゃくにいつのまにかおきかわっていて、涙は流しても流しても気持ちはどこかへ行ってしまって、私の年齢不相応にひどいかんしゃくは止まらないのだった。

悲しい時は涙をいつも舐めてくれたとか、いつもそばにいてくれたとか、そういうことでもなかったと思う。そばにいてくれたというか、人間の方が犬小屋に入り込んでくるわけだから、犬としてはどうしようもない。なぜかわからないけれど、犬が犬であってくれるだけで、私を在らせてくれた。

人間だって人間であってくれているのに、どうもなんだか、そういうことでもないらしい。