凡庸な真実、というものがある。
今よりもう少し若い頃、一般論は軒並み拒否していたように思うが、年々、面白みがなくてそこらじゅうで言われている考え方であっても、自分にとって凄まじい意味を持つものはあるんだな、と思うようになっている。
その意味で、周りの人に感謝をする、というのは、本当に大切なことだ。
宇多田ヒカルが「人は皆生きてるんじゃなく生かされてる」と歌ったが、まさしくその通りだろう。
人は、仕事を続けていると勝手に力がついていく。仕事でなくても、何かを継続して実践・勉強していると、自ずとその領域に対する能力が増す。
能力が増し、そして時間と共に権威側に回っていくと、人は自分の力でなんでもでき、どこまでも行けるような錯覚に陥る。そして驕る。
お笑いのコンビで「じゃない方」の芸人には役割があるように、華型でない仕事をしている人も価値提供のフローの一旦をちゃんとに担っているように、1人のスーパーマンの煌びやかな能力だけで、何かが循環することは決してない。
そして、俺含めて大抵の人は、スーパーマンではない。俺すげー状態になったときは大体、気付かぬうちに冷静さを失っている。
俺らは周りの人や、あるいはインターネットを介した遠くの誰かに助けられて、ようやく生きている。誰もがそのネットワークの中にある。
感謝をすると、それを思い出すことができる。思い出せない期間が長くなると、人間関係は簡単に綻ぶ。
だからこれは、周りと共存していくための、生存戦略のための感謝なのだと思う。