(ネタバレしかない。一部たいっつーに挙げた内容)
あのエンディングはロマサガ3みたいに世界再生なんだろうなあ。(単なる崩壊ではない)
再生した世界はもう画面には映らない。でももう見えないみんなが一生懸命にこちらに向かって手を振ってくれている。
「ありがとう」はこちらのセリフでもあったんだよ。クラウスの最期の言葉が「ごめん」だったのが辛かったから、END?のあとに他の言葉が聞けて本当によかった。
あんなに辛い旅路をともに歩んでくれて、リュカたち本当にありがとうね。
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世界の再生でふと谷山浩子さんの「愛をもう一度」を思い出して、また胸がぎゅっとなったりね…。
「いつでも風は吹いてる
悲しみのあいだすり抜けて
口先だけの愛なんてやつを笑い飛ばして」
この歌い出しだけですでにMOTHER3…。
どの世界でも風は吹いていた。
メカキマイラに改造された子たちのあいだでだって、風は吹いていた。
生命の感じられないあの地下でだって…。
「だから聞きたいことは
たったひとつさ
もう一度きみは愛せるか
変わり果てたこの地球を
きみの目の前にいる
ひとりのひとを
もう一度」
サビももう言うまでもない。
変わり果てた世界をもう一度…。
変わり果てた目の前のひとを大切な家族だともう一度…。
「だからケモノのように
サカナのように
もう一度生まれ変わるんだ
崩れおちた世界のあと
きみのかけがえのない
ひとりのひとと
もう一度」
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こうして考えるとMOTHER3は愛と再生の物語だったのかなあ。
愛はね、PK LOVEだし。MOTHERシリーズ自体、愛がテーマだと思うし。
再生は3で突出したテーマだったのかも。
第1章にして崩壊した家族、壊された扉、混沌へ向かう世界が描かれていたけれど、それが最後の最後にやっと結ばれて再生する。その原動力が、家族愛であり、MOTHER3をプレイしつづけるプレイヤーの愛であり、ゲーム内外のひとたちのあの世界への愛だったんだろうなあ。
MOTHER1は母の愛。クイーンマリーの愛がギーグの愛されていた記憶を呼び起こした。
MOTHER2は世界中の人たちと画面の外のわたしたちの祈りがギーグを消滅させた。
MOTHER3は愛のもとに世界が再生された。
…でもポーキーは?
MOTHER3ではポーキーは愛を得られず(ネスがいない以上、だれが彼の求める愛を与えられるか…)、絶対安全カプセルに入ったまま。
世界の再生に際しても、ポーキーに関しての環境は変わらないまま。
ネットで見かけた説だけれど、やっぱりポーキーはその後なんやかんやあってギーグになるのかなあ。
だからこそ、自らの得られなかった愛だとか、つながりだとか、祈りだとか、その象徴である歌だとかには敵わない、とか。
MOTHERシリーズの裏主人公がポーキーだとすると、裏テーマは愛を得られなかったもの、かなあ。
であれば、MOTHER3のポーキーもMOTHER2の世界線まで辿り着けば、ネスたちに会えて、やっと消滅(浄化)させてもらえる…。
どうしてMOTHER2のギーグがポーキーを呼んだのか、そもそもどうしてMOTHER2の世界に来たのかというのも、それで繋がるのか。
ポーキーをなんとかするのはやっぱりネスたち。遠い、遠い未来(過去)で。
だから、リュカたちはリュカたちで新しい世界を生きていいんだな。よかった。あの子たちは何も負い目なんて感じなくていいんだ。よかった。
わたしは見ることのできない新しい世界で。
文明のいいところ(どせいさんがいれば、おもしろ冷蔵庫とか作ってくれそう)は残しつつ、自然いっぱいの島で遊んでいてほしい。
どせいさんに会いに遠出してみたり、海底散歩してみたり、火山や洞窟探検、カヌーで川下りなんかもあっていいよね。
DCMCのライブをたまに楽しみながら(ウェスをゲストダンサーとして呼んじゃうとか、クマトラヒメもボーカルとして加入しちゃうとか!)、家族のんびり暮らしていてね。
ドアノブはもうなくならないように、わたしがこっちで大切に持っておきます。
いつかまた会いに行くよ。元気でね。