割り切れない気持ちと終活

りり
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#悩みのはなし

ボスをお迎えして1年9ヶ月と少しが経った。鱗が剥がれ白い肉が表出した部分は少しずつ治ってはいるが、完治は厳しいように見える。ごはんは食欲自体はとてもあるが、身体がときどき追いついておらず、カットしたごはんでないと食べられないし、カットしてもときどき吐き出すこともある。泳ぎがかなりぎこちなくなってきた。水面に浮かぶのにかなり力を入れないといけないようで、底でじっとしていることが多い。今朝は白髪のようになっていたレイが1本抜け落ちた。元々治癒力が強い方ではないように見えたが、レイがどんどんボロボロになっていくさまは痛ましく、他人には見せづらい。インターネットに上げる写真は影響が少ない正面の顔を選んで載せている

ボスがこの状態になってから、Blueskyのタイムラインを見る気力がわかない。よそのかわいいベタは素敵だけど、どことなく、なんとなくボスのことを思ってすこしだけつらくなる。ボスも若い頃は雄々しく美しかった。今は痛ましい姿かもしれないけれど、懸命に生きている。他の子を見る心の余裕が正直言ってない……という感じだ。表面的な感情では見たいという気持ちがあるけど、深層的な部分でなんとなく嫌がっている感覚というのかなぁ……今はボスだけを見ていたい、という気持ち、というのかなぁ

何度も言うがボスは既に高齢だ。うちで飼っていた中では既にダントツ最年長。巷で言われる寿命は1〜2年で、実際の飼育談では1年もたない話もザラなので、お迎え1年9ヶ月は本当に長生きな方だ。でも、だからといって、死と向き合うのは難しい

水カビ病と何度も闘った。身体がボロボロにもなった。いつもは快便だが一時期便秘にも悩んだ。老齢になりごはんを食べることも難しくなってきた。もうフレアリングはできないようだ。身体の負担を思い、隔離箱飼育に切り替え、日に3度の少量水換えを行うようになった。ボスは生きている。わたしが近寄れば、ごはんがもらえると思いうれしそうに寄ってくる。あと何日寄ってきてくれるだろうか。終わりの日が近いことがわかるけれど、受け入れられてはいないと思う

もし今地震が来て満足に水換えできない環境になったら、ボスはひとたまりもないだろう。きれいな水が今のボスをかろうじて支えている。巷では大きな地震のリスクが高まっていると噂されているが、本当に来ないでほしいと願う。ボスには天寿を全うさせたい

最期のときは、ボス自身の望み通りであってほしい。地震でも病気でもなく、どうか最期まで健やかであってほしい……

FF10のマカラーニャの森で、覚悟とは諦めであるという話があった。ザナルカンドに帰ることを諦めて、『シン』に立ち向かう覚悟を決めたという話。ボスを看取る覚悟とは、つまりはもうじき死んでしまうこと、生き続けることは難しいだろうという現実を受け入れて、今目の前のボスと向き合うということなのだろうか。命に対する覚悟はあまりにも重い。ベタの飼育は4度目であるけれど、いちばん長生きをして、老衰の症状がみられているからこそ、いちばん覚悟が決まっていないように思う。ニシキなど、明らかに重篤な病気の子などはいつ死んでしまってもおかしくないからこそ、最期まで闘おうと気丈でいられたように思う。ニシキ自身が気丈に振る舞っていたからももちろんあるけれど、自分たちが闘えば闘うほどに命を勝ち取ることができるかもしれないという希望が突き動かしたのかなとも思う

ニシキの最期の写真を見返す。これは亡くなる前夜、寝るときに撮ったもの。松かさ病とポックス病で自分もつらいだろうに、わたしのそばに寄り添おうとしてくれていた。飼っていて思うのは、ベタにも心があるのではないかということ。ニシキは最期まで生きることを諦めなかったし、わたしのことを大事に思ってくれていたのが伝わってきていた。何ヶ月も闘病し、お迎え1年半の命を終えたニシキのことはきっと一生忘れないと思う

数日前のボスの写真。ボスもまた、生きることを諦めていないのが日々伝わってくる。だからこそ死んでしまうかもしれないということをなかなか直視できていないけれど、「もうすぐ死ぬ」ことより「最期まで生ききる」ことを考えればいいのかもしれない


ボスを、最期までボスの寿命を全うさせてあげられるだろうか。つらいこともあるけれど、手を尽くしたいと思う

@riririririry
オタクのオタクじゃない話 / 非オタ趣味と生活と闘病