タイトルはイタリア語で「あなたへの愛を捨てることは」。理由は後述します
夢で祖母(存命)と叔母(存命/嫌い)と声楽の恩師(15年ちょっと前に落命)に会いました
祖母と恩師が入所しているホームで叔母が働いているっぽい感じで、わたしは抱き枕を抱きしめながら、見つからないよう陰から祖母を見ていたら、叔母に普通に見つかった。現実の本人とはかけ離れて物腰やわらかい叔母と窓際まで行き桜を見た。その場を離れ、帰ろうとすると歌が聞こえた。恩師の声なのはすぐわかった。足を止め、また物陰でそっと様子を見てみた。Lasciar d'amartiを歌っていた。歌い終わるまで聴き、その場を離れた
恩師はわたしの学生時代に急病で亡くなった。当時わたしはそれが本当にショックで信じられなくて、ものすごく荒れてひきこもった。人生で一番尊敬していた、大切な人だった。それから何年も、亡くなった季節が近付いては恩師の家(レッスンをここでしていた)の前まで来て、やりきれない気持ち、よくわからない祈り、いろんな感情がごちゃまぜになったものを整理しに来た。5年くらいはそうしていたような記憶がある。今はひとりで都内に行くのは少し危ないし、以前よりはその件に対しては気持ちがだいぶ落ち着いていると思うので、行かなくはなった
Lasciar d'amartiはレッスンでよく歌っていた曲で、発表会にも何度か使った印象深い曲です。夢で先生が歌っていたこと、何か関係あるだろうかとなんとなく夢占いのホームページで調べてみることにした
亡くなった先生の夢は「救ってくれるアドバイス」を示唆しているらしい。会話はしていないが、歌っていた曲にメッセージ性があるかもと歌詞を思い出してみる
苦しまないために あなたへの愛を捨てることは
愛する人よ、とてもできない。
苦しみに襲われ、矢を受け、鎖につながれようとも
私はあなたから離れたくない。
私はあなたを崇めていたいのだ。
…………………………
先生からのメッセージというよりは、わたしが未だに先生に対して思っていることかもしれん……
昔ほど表面化していないだけで、ずっと思うところがあるんだと思う。もっとたくさんの時間を過ごしたかったとか、孝行したかったとか、真面目に通えなかった期間もあったのでそれに対する後悔とか、ほんとにいろんな感情があるし。厳しいけどやさしいレッスン、お茶やパンを贈ったら喜ばれたこと、ピアノを弾いていてもできるネイルを一緒に楽しんだり、ごはんを食べ損ねて飢えていたらバナナをくれたり、わたしは当時も情緒不安定だったのでよく泣いていたかもなのを、厳しくもやさしく激励してくれたりなど、たくさん大切な思い出がある。あるからこそ、つらくて。何が言いたいんだっけ。そう、Lasciar d'amartiはそんなわたしを示唆してるかもしれないねってことを言いたかった。悪い雰囲気は受けない、終始やさしい雰囲気の夢だったから、多分肯定的に捉えていいのかなって思うと、思い出は捨てなくていい、自分なりに大切にしたらいいってメッセージなのかもしれない?都合よく解釈しました
先生には「りりは音楽をやめちゃダメだ」と言われていた。わたしの支えになるものだから、大切に続けなさいという意味合いのようだった。ごめん、やめてしまったしこのざまなんだけれども……あぶなっかしながらも大切な人やちょっとしたよろこびを作ってなんとか生きております。正直顔向けできるかと言ったらできませんって感じなんだけども、自分なりにもがいているので、許してくれたらうれしいなあ
最後に、全然先生とは関係のない方だけど、わたしが歌っていたのと同じ調で歌い上げられているLasciar d'amartiの動画を上げてくださっている方がいらしたので載せておしまいとします