飼っているベタ(熱帯魚)のボスが少し前、とても調子を崩していたんだけれど、ここ最近とても元気になりました。闘病や環境改善の甲斐がありました
上記は調子を崩した初め頃の便秘のとき。ここから二度の水カビ病と戦うこととなり、ようやく最近終息した次第です。この便秘のときに便通などを書き残しておくべきと、100均で小さなメモ帳を買い、記録しています
最近ごはんを買い替えましたが、それ以来すごく便通がよく、毎日出してくれています!動きも前より元気になっているし、よかった
メモ帳の表紙、ふと書いてある文章の意味が気になりました。“TUTTI I GIORNI FELICE”……イタリア語なのはわかるし見たことある単語が多いけど意味まではパッと出てこない。学を失いつつあるおばさん。潔く翻訳にかけました
Tutti i giorni felice.(毎日幸せ)
幸せって、当たり前のように存在しているようで、まったく当たり前ではない、でも当たり前にそこにある、そういうものですよね。多分。ボスが調子を崩したのも、それで命を落とさず済んだことも、それから調子を良くしたことも、すべては当たり前ではないけれど、目の前に当たり前として存在していた事柄で。これからどのくらい生きてくれるかわからないけれど、今現在の幸せを大切にできたらいいよな……と、ハッとしました
話が全然変わりますが、割と最近こんな二次創作を描きました
タイトルは「なんでもないしあわせ」。推しカプのふたりがなんでもない日常を幸せに過ごす、そういうワンシーンを切り取った絵です。推しカプ日常系すごく似合うふたりでえ……というオタク語りはとんでもなく脱線するので程々に置いておきます。推しカプ毎日幸せであれ
日常に幸せっていろんな形で存在していて、それを幸せだと認識していることもあれば、認識していない、実は幸せだったものもたくさんあると思うんですね。自分のメンタルが追い詰められていたり、余裕がないときはどうもそういうものを認識しづらくなる気がします。でも、認識できていないだけで、そこにあるんですよね。多分。だから、つらいときこそ、なんでもないしあわせを見つける、抱きしめるというのが、みずからを救うということになったりするのかもしれない、と宗教のような哲学のようなことを思うなどしました
ボスと一緒にいられる時間を、思うように絵が描ける状態を、なんでもない日常を、抱きしめていけたらいいよね