姑の楽しみといったら、食べることとしゃべること。(♪ぐりぐらぐりぐら…)
習い事もよく通ってて、茶道、習字、絵手紙、つるし雛…。流行モノはいっちょかみ。でも、誘われてこそのお出かけ。自分から人を誘わないなあ、とうっすら思ってた。習い事でも、そこでのおしゃべりが何より楽しみ。上手くなるとかそういうことには関心がないようだった。テキトーにお手本通りにできたらまあ良し。
そんな暮らしをしてた人が、急に一人になり、その前に腰を痛めてたこともあって生活自体が無理に見えたので、ニワカ長男になった次男が高齢者施設を探した。(中略)3年かかってすったもんだの末、新設のサ高住に入居が決まった。その時の姑のある言葉が忘れられない。
「ケータイは、命綱だから!」
外とつながる大切な手段だし、お喋りが楽しみの姑にとってはそうなんだろう。(とはいっても、メールもネットもできなくて通話のみ)
だから息子はケータイの契約は通話し放題のオプションつけて、自分もかかってきたら直ぐに出るようにしていた。
しかし、こちらからかけてもとってくれないし、かけ直してくるのも当てずっぽうみたいだった(着信履歴があるのに、それから折り返すのではなく、「アンタ、電話かけた?」というので)
その姑が、施設で七年過ごし、感染症になって入院したり、転けて骨折して入院もした。コロナも2回もらい、肺炎やら心不全やら、じわじわ衰えてきた。あれだけお喋りだったのに、こちらからの問いにオウム返しのような、反射的な答えしか返してこないことが増えた。
もちろん自分からケータイで電話かけたりしなくなった。
命綱のケータイ、使わなくなって、不要品になってきた。毎月の電話代、もったいないな。
姑に電話をかけてきてくれる唯一のひと、姑の義理の妹(叔母)に、「ケータイ、使わないから解約しようかと思って…」と夫が切り出すと「もったいないからそうしなさい!」と即答だった。
というわけで、姑の命綱、解約した。
命綱、切れちゃいましたよ。お姑さん。この世との綱が一つ切れちゃったんでしょうか。入所の際、わざわざ持ち込んだ習字の道具、開けたことないままですよね。食事時間の一時間前からそわそわしてたのに、それもなくなって、出されたモノをただ食すだけ(まだ、美味しいという感覚はあるので、それは大きな綱だなあと思うけど)
今、何が楽しみですか。