大切な人とは、もう一緒にいられないのだと思う。一年間、必死に訴えてきた。私には一人でいる時間が大切で、誰の事も何の事も考えないでいられる時間がなければ、私が私を正しく認識できなくなってしまうから。だからひとりでいさせてほしい、その時間を設けて欲しいと伝えてきた。理解のある相手は理解のあるように振る舞った。まるでそれが最適解であるかのように相手が正しいと思う行動をしていたと思う。最適解。最適かなんかはどうでもいい。動いてくれたことは嬉しかった。素直に私の主張を受け入れ、関係にひびが入らないように円滑に進むように考えていてくれたのは安らいだ。
けれど、全部ウソだった。根底にあるのはいかに私の時間を奪い取るかであり、自分のために使わせるかであり、私に対する考慮なんて一切なかったんだと今なら思う。自分の寂しさを埋められる相手であればそれでいいのだと言わんばかりに、私の時間は確保されているように見えて搾取され続けた。
そうして一年。私は趣味の成果物を一つとしてあげることができず、年をまたぎ、公募に向けて動き出そうにも奴がついて回る。自分のことに集中できる時間も環境もまったくなかった。無に等しかった。自由にさせているように見えて、感情と機嫌によって私の行動を永遠と縛り付けてきた。
もう嫌だ。もう嫌だ。こんなの私じゃない。
心は一年も前から叫び続けている。私は蓋をし、聞こえないように努めてきた。相手が大切な人であることに間違いはなく、悲しませたくないという気持ちも決してウソではなかったからだ。
けれども、限界は近い。限界は近い。
ダムは決壊する。均衡は破られる。世界は壊される。
私の望んだ何も失わずに済む幸福は、もはやその体裁を保てていない。
手に入れるためには失う必要があるのであれば、私は何を選ぶか。
感情に縛られた結論など出してやるなよ、と未来の私へ忠告しておきたい。