しずかなインターネットをはじめてみた。
インターネットとは個人的にはうるさいものだと思っていたから、まだぼんやりしている。こんな、都合のいいこと成立するのだろうか。
インターネットなのに、しずかなんて。
にわかには信じがたいけれど、でも、このフォーマットに向かっているあいだ、今現在、現時点ではとてもしずかな気持ちでいられている。
こういうことでいいのだろうか。うるさいところに身を置きすぎて、わからなくなってしまったみたいだ。
わたしは、作家・歌人として散文や短歌を書いて、日々本にしたり、それを売ったりして暮らしている。これ一本では生活できないが(というか、文学フリマなどの遠征費用を含めると赤字だ)、趣味ではなく、ライフワークとして、書くことを選んでいる。
そうなると、書いたものを宣伝するのは、出版社ではなく、自分自身がメインとして力になることが多い。そうなると、みずからを広告スピーカーのようにして、日々ツイッター(現X)では告知をすることになる。
すると、日々うるさくしてしまう。
そうでなくても、わたしは短歌や散文を書くうえで思ったことをつぎつぎツイッターに投稿してしまう。うるさい自分に嫌気がさすことも多い。エコーズの「ZOO」で、おしゃべりな九官鳥が翌朝後悔する、という歌詞があるけれど、ほんとうにそれに近い。
わたしがしずかにできない理由はきっと、「さみしさ」と「読んでほしさ」の二つなのだ。
さみしいとき、ついつい、意味もないのに「スペース」をひらいて(「スペース」の前は「ツイキャス」だった)、うるさくしてしまう。または、「もくり」をひらいて、夜な夜なひまをしている友達たちとおしゃべりしていることもある。いずれにせよ、さみしさの「小腹」が空いたときに、わたしはうるさくなる。
もうひとつは、やはり自分の文章を読んでほしいから、という理由だろう。文章を読まれるためには、注目してもらわないといけない。活動を熱心にしていることをアピールしないと、「読んでください!」と声を大きくしないと、この世界では話を聞いてもらえない。自作を、自分の文章を読んでほしいとおもう気持ちは、人より強いと自覚している。だからわたしはうるさくなる。
先ほど、ここに登録して、いろいろ機能を見ていたが、ここでは検索があまり発達していないようだ。もしかしたら、そういう機能自体がないのかもしれない。ここのページへたどり着いた人は、一体どのようにしてここを見つけてくれたのだろうか。
「ひとりぼっち惑星」というアプリで遊んだことがある。匿名のだれかにあててひらがなだけの短いメッセージが送れるようになっていて、あれは楽しかった。孤独で荒廃したSFみたいな音楽と視覚要素が、ものすごく味を出していたのだった。ここはそれに似ているのかもしれない。
わたしはうるさい。うるさいわたしが、しずかなインターネットに来た。
書き散らしたいときに、書くと思います。
よろしくお願いいたします。