深夜にこれを書いている。adieu「楓」(スピッツのカバー)を聴きながら、ぼんやりする。「ひとと同じようなしあわせ」ってなんだろう。わたしはそれを得たのだろうか。わたしはそれを信じているのだろうか。
他者になりたい、などというおろかな願いを自分が抱くことはないと思っていたけれど、わたしは雪舟えまさんになりたかったのかもしれないと思う。
雪舟さんの作品はそりゃあもう大大大好きだが、すべて追いかけているわけではない。『地球の恋人たちの朝食』などは、ほんとうに心がだめになったときのために、多くの箇所を未読のままとってある。こういう救い方も文学はできるけれど、すごく失礼だし盲目的なことだとも同時に思う。
雪舟さんが参加しているアンソロで未読のものがあったので、図書館で予約してみることに。岩岡ヒサエさんの表紙で、『土星マンション』を特に熟読していた頃がなつかしくなる。いまでも大好きな、名作の漫画。図書館は職場なのでよく利用するけれど、著者に印税がいかないしくみはなんとかならないかと思っているので、財布と相談して、購入すると思う。
ときどき読者の方からのあついメッセージをもらうと、これってあたしが雪舟さんにやってたことじゃん、と思うことがある。そういうとき、こわさと幸福が同時に来る。
雪舟さんにはなれなかった。ならなかった。でも。
雪舟さんが、ツイッターをやってらっしゃった時代を思い返す。
あの頃は、こんなに治安が悪くなかった。みんながインターネットの素早いリアクションに慣れていなかったから、みんな宇宙でなじみない暗号を交わすようにインターネットを使っていた。
雪舟えまファンクラブのことを思い返す。
あの会報誌はとてもよかった。わたしは当時まだ大学生で、大学は個人にコピー(印刷)の予算があてがわれていた。勉強をしないあほな学生だったわたしは、あまらせていたコピー予算の残高をめいっぱい使って、ファンクラブ会報をカラーでコピーしたのだった。
ホ・スリリングサーティ(雪舟さんのバンドのCD)をききなおす。名曲ばかりでうっとりする。わたしは当時、京都で開催のLIVEに行ったのだ。ああいうアーカイブ、どこかに残っていたりするのだろうか。
(調べたけれど、出てこなかった、かわりに名古屋のONREADINGでのライブ情報なら残っていた)
京都でライブがあったのは、夢だったのだろうか。でも、バスにのってちょっと遠くの街まで行って、たしかに「おんなのねぶり箸」を聴いたような気がするのだ。客席で雪舟さんとお話できる一瞬もあって、雪舟さんが箸をねぶるジェスチャーをしてくれて、たのしくお話した記憶があるのだ。畳の部屋で。
ぜんぶ、ぜんぶ夢みたいだ。
ツイッターをやめてしまいたくなるときがある。雪舟さんみたいに、ふうっとインターネットの俗世から消えていけたらな、と思う。
でも、わたしには自信がないのだ。そして、人の縁を切りたくなさが、邪魔をするのだ。
必要なのは、才能だけではない。勇気とつめたさがないと、雪舟さんにはなれないのだろう。
こんなことを書く無神経さは、はたして許されるのだろうか。
わたしは誰に許しを乞うているの?