【aoex】ルーイン・ライトの感情について

りつこ
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※本誌の話題を含みまくります※

 

ルーイン・ライトが「自分の感情に無自覚な人間」だと気付いてしまった。

いや、分かってたけど、分かってたけどここまで不器用だったとは……と思ってしまって……。

 

ルーイン・ライトは、自称「人に共感出来ない人間」だが、共感できないのではなく「単に自分の感情に気付いていない」だけなのかもしれない。

その前提で振り返ると、なんだか色々なことが腑に落ちるような気がする。

 

そもそもの話、「人に共感できない人間」であるという自認はどこから生じたのか。

「共感」とは、ザックリ言えば「他者の感情を察して、相手と同じ気持ちになること」と思われるが、これは相手がいなければ成り立たない。そして、互いの感情が同じであるかどうかを確認しなければならない。

しかし、互いの感情を確認し合うすべはない。つまり、共感できているか、できていないかを判別するには、相手の感情と自分の感情の双方を理解することが必要になる。

これはとても難しいことだ。自信を持って「自分は他者に正しく共感できている」と言い切れる人は居ないだろうし、言い切ってしまうとしたらむしろその人は理解出来てないだろうと思う。

それは逆の場合でも同様だ。「共感できない」と言い切るには、相手の感情と、自分の感情の両方を理解することが必要になる。しかし、それを両方理解出来るのだとしたら、多分その人は共感も出来る人だと思う。

つまり、「感情を理解できない」ことと、「共感できない人間であることを判断する」ことは、両立しえないのだ。

となると、本人が自発的に「自分は共感できない人だ」と気付くのは考えにくい。必然的に、周囲の人間からの評価であろうことが伺える。

 

幼い頃のルーイン・ライトは、感情に乏しく乱暴で、人間よりも悪魔の研究に没頭していたらしい。

ここで言う「感情に乏しい」というのも、感情に無理解な人間という前提に立つと、恐らく他者からの評価であろうと推測できる。であれば、「感情表現が乏しい」というのがより適切な表現だろう。

表情が分かりづらく、悪魔のことばかりを考えている不気味な子供、という像が容易に想像できる。

そんな子供が、残酷なことを言ったりやったりした場合に、「お前はどうして人に共感できないんだ」と罵られることも必然かもしれない。

この「人に共感できない」という言葉が、ルーイン自身のコンプレックスになっているとしたら?

幼少期に他者の無理解と拒絶を味わい、他人の家に10年預けられていた子供が、「自分は人の感情が分からない人間だ」という考えを心の奥底にしっかりと根付かせてしまうのも、自然なことなのではないだろうか。

勝呂を弟子にとった時にも、「まともな判断基準を側に置いておかないと不安な時がある」と発言している。この言葉、かなり根深いコンプレックスに思える。

大人になった今でも、彼は「自分は感情を理解出来ない人間である」と思い込んでしまっているのではないだろうか。

 

 

けれど、本当に感情が無いなんてことがあるはずがないのだ。

あれだけよく笑う人が、その笑顔のすべてが装ったものだとは思えない。あれだけ真剣に世界を救おうと、なりふり構わず奔走する人の、その世界を愛する気持ちが嘘だとは思えない。

正しくあってくれる人を側に置かなければ不安だなんて、感情の塊じゃないか。実際に制止された時、目的の邪魔をされたと思わずに、道徳を守れたことに安堵するなんて、人らしい感情でなければ他に何だというのか。

 

想像にすぎないが、オセオラに引き取られていた10年間で、元々は乏しかった感情表現は大幅に改善したのだろう。

オセオラが必死になって、人と接するためのいろはを教え込んで、なんとかコミュニティの中でまともに生活できるようにと心を砕いたのだろうと思う。

だから、今我々読者が見ているルーイン・ライトは、部分的に不気味でガキくさいところも残しつつも、「まともな大人」として振る舞えている。

けれど、幼い頃に自身の中に根を張った「共感できない人間」「感情の乏しい人間」というレッテルは、ずっと残り続けているのではないか。

その前提を持っているせいで、自分の感情を正確に把握できなくなっているのではないか。

皮肉なことに、オセオラが一生懸命親身に接すれば接するほど、ルーインにとっては「そこまでしなければ人と関われないほど己は重症だ」という証拠になってしまっていたのかもしれない。

 

そう思うと、オセオラとルーインの距離感にもなんだか納得がいく気がする。

10年を共にしている、家族同然、親子同然の関係なのに、「オセオラ」と名前の呼び捨てで、あくまでも対等な立場として接し続けているのは、ルーインにとって線引きのようなものなのではないか。

「自分は共感できない人間だ」というコンプレックスに至った幼少期の経験から、「自分は人を傷付けるだろう、迷惑をかけるだろう」という気持ちがどこかにあって、だからこそ大事な人から距離を取りたがってしまうのではないか…?

勝呂に対しても、「弟子をやめるなら今のうちだ」とか、「命令したとしても必ず従わなきゃいけないわけじゃない」とか、わざわざ遠ざけるような発言が多いのは、そういうことなのでは…?

でもそれはそれとして、オセオラも勝呂も、頼りにしてるし、甘えられる相手でもあるし、そのあたりの感情はルーイン自身整理がついてないから、突き放すようなことを言ったそばから頼ったり甘えたりする発言も飛び出す、の、かもしれない……

 

自分では、冷徹に世界を守る目的のことだけを考えて、私情抜きに作戦を遂行していて、死に戦であることも理解したうえで前向きに戦っている…と思い込んでいるのかもしれないけれど、

「親しい人の死」が目前に迫った今、ルーイン自身かなりグラついている部分がありそう。それで出てくる発言が「命令だ」なの、本当にどこまでも不器用ですね……という話でした。