猫柳に対して抱いていた感情が、先日のライブで一気に噴出してしまったので、一度整理しておきたい。
猫柳キリオのことを知らない人もいると思うので、かるく説明すると、
アイドルマスターSideM という男性版アイマスに登場するアイドルの1人で、元々は落語家…というキャラクターだ。
このSideMというシリーズは、各キャラクターが「前職」を持ち、その前職を何故辞したのか、何故アイドルになるという一大決心をしたのか、それを踏まえてアイドルとしてどんなことを伝えていきたいのか、といった「前職」に連なるテーマを掲げている。そのため、各キャラクターの紹介文に「“元”○○」という欄が存在する。
お分かりいただけるかと思うのだが、「意図」のオンパレードである。そりゃあ私に刺さるはずだよ。
で、その中で「元落語家」である猫柳キリオだが、実際には「元」ではない。恐らく現役の落語家であり、アイドルとの二足の草鞋を履いている。
彼は18歳なのだが、今まで同級生と遊ぶこともほとんどせず、ずっと落語の稽古に明け暮れていた。きちんと弟子入りもして、現役高校生ながら既に「二つ目:真打(一人前)のひとつ下」の階級まで上り詰めている。落語家としての活動は「猫柳亭きりのじ」として行っているらしい。
そんな落語一直線だった男が何故アイドルになったか、それは「きらきらで楽しそうだったから」。
意味が分からないと思うが、要するに新しい世界に飛び込んで、そこで経験する様々なことを新作落語のネタに昇華することが目的だ。目的がコレなので、明らかに落語家は引退していない。
一見、無茶そうな二つの芸事を掛け持ちしているようにみえるが、同じ芸能に通ずる道なのでかなり活かせることが多いらしい。
例えば、落語には枕という文化があり、本題に入る前に枕を話している間に客を観察し、その場の客席の客層・あったまり度合い・雰囲気などから、その場で一番ウケそうな噺を選んだり、話し方を調整したりするそうだ。
これを応用して、舞台袖から客席を見て、その日のパフォーマンスを変える…とか、そういうことをさらっとやるのがこの猫柳キリオである。
そんなキャラなので、アイドルとしての躓きとか失敗の描写はものすごく少ない。芸能活動は概ね上手いことやってくれる、かなり頼もしいアイドルだ。芸歴も長いし、そりゃそうっちゃそうだが、前職が別業種のキャラが多い中でかなり特異な存在ではある。
では猫柳の挫折ポイントは何か?
それは、「感情の理解」にある。なにせ同級生とは遊んでこなかったので、18歳にもなって「ともだち」という概念を知らない。家族以外の人間は「形態模写の観察対象でしかなかった」ため、アイドルグループを一緒にやることになった仲間たちとの適切な接し方が分からない。アイドル活動を通して、感情に対する理解を獲得していくのが、猫柳キリオの物語なのである。
そんな猫柳に対して、私は「共感・憧れ」6割、「嫉妬」1割、「可愛いし面白いからすき」2割、「怒り」1割…くらいの混沌とした面倒くさい感情を抱いていると思う。
「共感・憧れ」については、
元々自分でも考えていた「面白いもの作るなら自分がまず面白いと感じるべき」とか、「なんでも経験して楽しんでそれを吸収しよう」みたいな基本方針を、猫柳が完遂してくれている点に起因する。
高校とか大学の頃から考えていたことが認められたような気にもなるし、それを実践できていることに、どうしようもなく憧れてしまう。そんなキャラが、アイドルとしても落語家としても巧者として描かれていることがすごく嬉しい。
「嫉妬」は、上記の憧れからきている。
齢18にして、既に弟子入り修行も経て、芸能の世界で酸いも甘いも経験したうえで、今なお「人生はわんだふる」と言ってのけられるこの男が怖いし羨ましい。わたしもそんな創作者でいたいよ…。
「可愛いし面白いからすき」は単純。ビジュがめっちゃ良い。声も良い。曲もめちゃくちゃ可愛いし楽しい。ゲーム中のテキストで謎かけとかやってるのも普通に上手いし好き。ここにライブでダンスがうめえことまで加わってしまった。もう大好きです、ありがとう。
※ちなみに、ライブとかのMCやらミニドラマやらで台詞として出てくる謎かけはいつもビックリするくらいクオリティが低い。なんなんだ一体…。モバMくん、帰ってきてくれよ……
「怒り」は疑問のオタク故のやつです。何なんだコイツは?
落語家として巧者 ⇒アイドル活動にも活かせる ⇒しかし修行に明け暮れすぎて友達がいない
ここまではいい。分かる。理解できる。
そんなキャラだから、楽し気なキャラにしよう、変人めいたキャラにしようという点も理解できる。
でも、なんで語尾が「にゃんす」「ぞなもし」、一人称が「ワガハイ」で、ことあるごとに「宇宙のぱわぁ」を受信するんだ…??????
一ミリも理解できない。特に喋り方は、演技中はちゃんと台本通り普通に読んだりしているから、どこまで意図的なのか全く分からない。お前は噺の中でもにゃんすとか言ってんのか?もうその時点で破門にされねえか?もしかして猫柳亭ってそういう話し方をする流派なんですか?わかんねーよ!!!
宇宙もほんとに分からない。宇宙の話、マジで一切掘り下げが出てこないんです。でも「宇宙のぱわぁを受信でにゃんす!」とか「宇宙のぱわぁを送るでにゃんす!」とか言うんですよ、この人。よくわかんないけど中継地点らしい、宇宙的な何かの。何?
分かんないことが多すぎてずっとキレてる。
あとプロデューサーに対する態度にもずっとキレてる。アイマスシリーズなので、当然の如くプレイヤーは「プロデューサー」だが、SideMは男性アイドルながら恐らく男性プロデューサーがついているような雰囲気で描かれている。(※一応、絵では男か女か分からない感じにしてるけど、アニメのプロデューサーは男だったし、なんとなく男っぽいよね~とは思う感じ)
で、そのプロデューサーに対して猫柳は、しょっちゅう膝枕をねだり、「プロデューサークンの傍にいると眠くなるぞなもし」などとのたまい、そりゃもうデロデロに“プロデューサー大好き”を顕わにしてくる。
俺が何をしたって言うんだ? 俺のことが…好きなのか…? そうか…
とは簡単に納得できないのが疑問のオタクの面倒なところでして。お前はプロデューサーの何が好きなんだよ!!!!!とブチ切れるありさまとなっている。ウーン、愚か。
そんなわけなので、当時私は、猫柳が感情を獲得する過程で、プロデューサーに対する感情を理解する話を書きたいと思っていました。
「百万回生きた猫」を題材に、舞台の上で数えきれないほどの役を演じてきたけれど、感情はうまく理解してこなかった猫柳が、
真剣に自分と向き合おうとして、「怒り」とか「悲しみ」とかそういうものを一緒に紐解いていこうとするプロデューサーという男に対して、
怒る経験や悲しむ経験をして、少し成長したうえで、
「ワガハイが生き返れなくなってしまったら、それはプロデューサークンのせいぞなもし」と謎めいたことを言ってプロデューサーを動揺させる…みたいな…。
※百万回生きた猫は、ザックリ言うと何度でも生き返れる能力を持った猫が、ある白猫と出会い、愛を知ったことで、蘇りを望まなくなってそれを最後の生とする話。
これを書くのに、百万回生きた猫を題材にした新作落語を考えないと…と思ってしまい、落語が書けねえのと、猫柳がやる落語の具体像がイメージできなかった(語尾とか…)のとで断念してしまったのでした。
当時仕事がガチで忙しくてそれどころじゃなかったというのもある…。
これと並行して、もう1冊出したいと思っていた本もあって。
猫柳キリオは全人類を客と捉えている節があって、仲間とか友達の概念より前に客がくる、すべてが楽しませる対象になってしまうようなところがあるんですよね。
楽屋でもすぐ小話を披露しようとしてくるし、努力している姿を見せようとしないし…。
そんな奴に、俺を観客にするな、俺はお前の裏方になりたいんだ、お前の中に入れてくれ、外側に追いやらないでくれって藻掻く男(プロデューサー)の話を描きたかった。
だから猫柳の苦悩の部分も理解できて、そのうえでそれを人に見せずに全て楽しいであやふやにしようとすることを怒れる男にしたくて、
元お笑い芸人でお笑いの夢を諦めて裏方に回った男…という設定を作っていました。ガッツリ創作Pでやろうとしてました。
当時は、この誰だか分からねえ男の人生の話なんか誰が読みたいんだよと思って描くのを迷ってしまった部分もあるけど、今改めて考えると描けよそんなもんって感じだな~。
こゆきをはじめ、先人たちの偉大な作品を見たからこそそう思えるようになったのだと思います。創作者たちに感謝を……ありがとう……
今は、勝ライをアニメまでに頑張って耕したいの気持ちがやっぱり強いから、しばらく離れとこうとは思うけど、年明けてからなんとか本にしたいなぁ。
多分一生燻ぶったまま引きずるので…。
どうにかしてこのぐちゃぐちゃの感情を昇華したい、と思うのでした。