チャットGPTに日記を書けないと相談したら「書けなかった時期のことを忘れろ」「日記のメモを捨てろ」と言われたが、どうも客観的な・第三者的なアドバイスではなく、わたくしのミニマリズム志向をログから拾い上げて、我が意を得たりと心をくすぐるよう回答に味付けしているように思えてならない。コンピュータ様の仰るままにするが……。

未編集の日記メモ

「お前に言われる筋合いはねえ」「関係ねえだろ」⇒関係の有無や筋合いと理論の正当性は別のレイヤーであり、そのように発言を拒むのは筋が悪い。これは「知らない人間から引用リプライされる筋合いない」などとのたまっているフォロワーに対して直接的な苦言と捉えていただいて結構です。何の権利があって他者のコミットをリジェクトできるのか?
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仕事してセックスするのがえらいなら原始人に我々は頭が上がらない。一面においてそういった意識は必要なのかもしれないが。
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『こづかい万歳』は、ゲスト怪人が人生のキャラクター化・コンテンツ化を「なっちゃった」ではなく多かれ少なかれ主体的に目論んでいることが他のドキュメンタリー漫画よりと違う出汁になっているのかもしれない。ライフデザイン論というか。ステーションバーは「なっちゃった」であると信じたい。
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金ビキニはあまりに通俗で下品だし、ゴールデンウィークにイラストレーターが好んで金ビキニを描き散らすのを見ると、イラストレーター全体に対する偏見が膨らむ。大和魂があれば柏餅ブラを描くはずである。
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フィリップ・ペタンが森喜朗先生にそっくりという話は前に書いた。エピソードで書き洩らしていたことがある。


老化のため、1944年3月14日夕にジャック・ドリオなどの有力政治家と会った時には、過去に会っていたことを思い出せず、この頃には午前中は才気煥発ながら午後には精神的混乱を示し時間とともに悪化したと官房長が語っている[21]。
ペタンのこの症状に、ディスコーダーだった人から「認知症スケールの開発者の人がかかった『嗜銀顆粒性認知症』っぽい感じがしますね」というレスをもらった。
長谷川 : 嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症といって、忘れっぽくなっちゃうんだね。それから確かさがはっきりしなくて、自分の体験があやふやになった。例えば出かける時「あれ、鍵かけたかな」って戻って「あ、大丈夫だ」って安心して行く。正常な人はそれで済むけれども、そのあやふやがひどくなると、何回もそれを繰り返す。そういう特徴の症状が起こってきたんだね。
佐藤 : 医師の自分と、患者の自分。両方を経験するのはどういう感覚ですか?
長谷川 : 行ったり来たりを自分で確認して思ったのは、認知症というのは連続しているんだと。朝はピカピカ、昼を過ぎると疲れてきて夕方は認知症っぽくなる、でも寝て朝起きるとピカピカ、その繰り返し。認知症というのはこういうふうに回転しているんだということがわかってきた。
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冷蔵庫や洗濯機も一生変わらないままでいるような気がする。けれど、いつかは壊れる。というか、白物家電は長く使っても10年に一度は更新する類のものだ。外を見れば、白髪の増えた歯科医、腱鞘炎の理容師、腰を悪くした中華屋、サービスの寿命というのを意識するようになった。わたくしだけが現状維持を志しても、環境の方がいずれ根を上げる。この生活はいつまで持つのか、幸福、人生、どこまでいっても社会の中で暮らすことで人生の一部を外に委ねているという不安。だからこそ、だからこそだよ、社会が長く続くように、善意ではなく必要経費として、他者に善くあるべきなのだ。
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くじら島もハンター試験会場もヨークシンも、世界のどこにいっても暑い・寒いが話題に上らないのは、ハンター×ハンターがメビウス湖というごく限られた領域が舞台だったことの伏線だったのかもしれない。
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明日こそ、明日こそは、昨日よりマシな生き方したいね。
