サルトルの言葉で「人間は自由という刑に処せられている」というのがある。
これは「自由って言うのは自己責任なんだからちゃんとしろ!」って事を言ってるんだと思っているんだけど、「分かる!でも自己責任なんて言われたら好きにしろってことだし、何が正しいのか分かんないのにそんなこと言われても困るな。不安だな」と率直に思う。
何が正解かなんて分からないからとりあえずやってみろという身も蓋もない話ではあるんだけどちょっとだけ考えたい。時間も有限だし。
自由って自己責任の範囲で様々なものに取り組むことだ。ジョン・スチュアート・ミル は自由論の中で、個人が自由を持って取り組む限り、自分以外の他者には害を与えないことが重要だと言っている。これは良く分かる。相手からすると「あなたのやっていることだから自分には極論関係ない。自分もそうだし自分が決めたことだからやればいい」となるんだろうなと。でもこれは所属するコミュニティだったり、状況によっても解釈が違う。個人の主義が尊重されている環境であればうまくいく気がする。相互関係の依存が低い状況だったりするとそうなのかも。これが社会的にとか自分のことだけ集中しないといけない状況だと言葉のニュアンスそのものが違ってくるし、多分うまくいかない。
うまくいっている環境の時に相手から「挑戦を応援している」と思われることもあるように感じる。最悪自分が「これは挑戦だ」と認識すればそれで良い。でも不安だ。
不安な時は状況によって不安レベルがあると思う。「出来そうだけどできるか不安」「出来そうだけど協力してくれたら気持ち的に楽になるから協力してほしい」「全然わからんから協力前提で取り組みたい」など。不安な時はレベル感に応じてとか関係なくとにかく口に出すことが重要そう。
コミュニティに対してうまく自分の挑戦だったり自由を獲得するために働きかけることも大事だと思う。他人をコントロールできないけど議論はできる。状況次第だけど今の環境は、まだうまくいっている気がする。あんまりチームビルディングとかで哲学的なことを話すと話しが拗れそうではあるが、「自由と不安と挑戦」についてどういうマインドで取り組むかは所属しているコミュニティなどで会話した方が良さそう。