例え話は受け取り側に対して誤解や混乱を与える。さらに恣意的に解釈され揚げ足取りに利用されることもある。つまり、例え話はするべきではない。という話。
※抽象的な概念を説明するために具体例を出すことは本記事の指す例え話には含みません。
例え話は誤解や混乱を与える
昔からよく言われる「IPアドレスはインターネット上の住所みたいなもの」というやつ。私はあれが嫌いである。ネットワークの仕組みを学び始めたころにご多分に漏れず私も遭遇したのだが、全く以てしっくりこなかった。むしろ混乱させられた。
住所ということは地理的な位置と結びついているのか?分割や統合があるのか?行政が管理しているのか?
すべて "否" である。
ちなみに、例える側は以下の構造が同じだと意図して例えていると思われる。
はがきは集配拠点(郵便局)を何回か経由して宛先に届く。各拠点では住所に従って次の拠点が判断される。
ネットワーク上のパケットはルーターを何回か経由して宛先に届く。各ルーターではIPアドレスに従って次のルーターが判断される。
しかし、上の例を示されたとしても、その上でまだ隠れた前提がある。はがきは拠点によっては郵便番号(住所の丁目以前までを表す規格化された符号)で宛先を判断し、最後の配送拠点では丁目や番地まで見る。郵便番号が読めなければ最終的に人が読んで判断する。パケットにこれらのような仕組みは無い。
例え話がいかに伝わらないかということが想像できるだろうか。
また伝わらないだけでなく、例えた側がどういう意図でこれに例えたのかを推測し、どの観点でどれくらいの抽象度で「同じ」なのかを特定する負担が受け取り側にのしかかるのである。しかも例えて話すということは受け取り側はそもそも知らない概念である。たまったものではない。
概念を理解した人間が例えを思いついて嬉しくなって例え話を出す。しかしそれは受け取り側の理解を助けるものではないし、むしろ悪影響である。どう考えても単なる自己満足のためだけの迷惑行為である。
例え話はするべきではない。
恣意的に解釈され揚げ足取りに利用される
ちょっと前の出来事だが、こんなこともあった。
富山県の教育委員会の職員が、学校は生徒の教育を通じて社会に役に立つ人材を輩出すべきという意見を表現する意図で、生徒を "商品" と例えた。すると県議会議員に不適切だと指摘された。
さらにずっと前だが、2007年に当時の厚生労働大臣が女性を産む機械と表現して炎上したこともあった。
どちらも本人が意図した例えと(おそらく)同じように解釈し、擁護する人もいた。しかし前述したとおり例えた側と違う意図で受け取ってしまう人もいるし、もっと言えば恣意的に解釈して攻撃に利用される恐れもあるわけだ。というか、どちらもされている。
特に政治家であればかならず反対勢力というものが存在する。本質の議論ではなく言葉尻だけを捉えて揚げ足を取って勝った気になる人たちがいる。例え話をするということは相手に対して任意の解釈を許しているということであり、あまりにも迂闊すぎる。
例え話はするべきではない。
まとめ
この文章を書く中でも、何度か例え話を書きそうになった。おそらく100%なくすことは難しい。むしろ逆に負担も混乱も最小限に抑えつつ理解の助けになる例えも実際はあるだろう。
全くゼロにはできない(必要はない)ことは理解しつつ、しかし大きなリスクが潜んでいることは認識し、なるべく大げさな例えはしないようにするのが大切なのではないかと思う。