子供だった自分にとって親は人生の全てだった

らくだ
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公開:2024/10/26

子供のころを思い出すと、親というのは本当に大きな大きな存在だった。自分が生まれたときからそばにいて、食事も衣服も住居もすべて親に頼るしかなかった。親に怒られたらこの世の終わりのような感覚だった。親というのは自分の人生の根底にあり、なくてはならない存在であり、また帰ってくる場所でもあった。

当然のように、親にとっても私は人生の全てを占める重要な存在であり、互いの人生はもはや1つに共有されているのだろう、と無意識のうちに思っていた。

気づけば今は自分も親になった。娘はもうすぐ4歳。ずいぶん大きくなった。

やはり娘にとって私や妻はとても大きな存在なんだろうなと感じる。怒られたときは本当に悲しそうな顔をする。夜中に怖い夢を見て泣きついてくることもある。

ただ親側になって気づいた。当時の自分にとって親は人生の全てだったが、現在自分が親として見ているこの子は自分の人生においてとても大きな存在ではあるが、あくまで一部だった。

別にネガティブなニュアンスは全くない。子供を愛せないとか、全力で向き合えないとか、そういうことではない。ただ単に、自分が子供のときに感じていた人生の全てを共有している感覚は、親として持ってはいなかった。自分の長い人生の中で、娘が生まれそしていつか親離れしていくまでの間の、第何章を歩んでいるといった感覚だった。

単純にこの非対称性が面白いなと思った。そりゃあ子供は生まれてずっと親と一緒だし、親は子供と会うのは長い人生の中での最近の出来事なんだから、当然だろう。

しかし改めて考えてみて、かつて自分が感じていた感覚は、もしかしたら親のおかげも大きいのではないかとも思った。つまり、親が全力で向き合って全力で愛してくれたからこそ、自分は親にとって大きな存在なんだと感じることができたのかもしれない。だからこそ逆に親だけは何があっても受け入れてくれると思えたし、何があっても最後には帰って来られる場所なんだと思えたのではないだろうか。

今までももちろんそうだったが、これからも引き続き娘には全力で向き合いたいし、全力で愛したいし、最後には帰ってこられる場所でありたい。なにより、自分の人生において子供と深く触れ合えるのはこの限られた章だけなのである。だからこそ全力で向き合いたいし、楽しいことも苦しいことも全力で向き合って、自分の人生として存分に味わいたい。

@rkd3
IT系スタートアップに所属。エンジニアとか研究者とかマネージャーとかそんな感じの人。一児の父でもある。日々の思考をゆるくまとめる。コメントは感想レターかBlueskyにてお気軽にどうぞ:bsky.app/profile/rkd3.dev