感情の言語化

らくだ
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このアニメ好きなんだよねーって話をすると、どんなところが好き?とかの話に自然となる。

もちろん言語化しようとすればできる。

このキャラクターがかっこいいとか、あのシーンが感動的とか、絵がきれいとか。

でも、言語化することでむしろ失われるものがあるなと思う。

感情は脳の中で起きた現象の結果であって、言語化はあくまでその結果を観測して解釈とか推測とかしてその原因を表現してるだけで、本当にその脳内の現象そのものやその理由を直接変換したものではない。

例えば今日見た風景を言葉で説明してと言われてどんなに詳細に語ったとしてもそれを聞いた人が全く同じ風景を思い浮かべることは不可能であるように、そもそも言語化というもの自体が情報の非可逆な変換である。

であるにも関わらず、言語化をするとすごく頭が整理されて本質が見えたような気になってしまう。そしてさらに恐ろしいことに、逆にそれこそがその感情やその理由そのものであると錯覚してしまう。

私はこのアニメが好きだ。なぜならこのキャラクターがかっこいいからだ。でも改めて見るとこのキャラクターちょっとダサいところがあるな。あれ、実は私ってこのアニメ好きじゃないのでは…。

いやいや、本質を見失ってはいけない。

アニメを見たときに感じた「好き」の感情こそが本物なのだ。

どんなに理由を語ろうが。

論理的に間違っていようが。

他人に否定されようが。

その感情を抱いたということこそが真実であり、それだけは絶対に間違っていないのである。

どんなに否定されても、違う感想を聞いても「そのとき自分はこう思ったんだ」ということだけは絶対に忘れないようにしたい。

自分の感情を認めて肯定してあげられるのは、自分だけなのである。

@rkd3
IT系スタートアップに所属。エンジニアとか研究者とかマネージャーとかそんな感じの人。一児の父でもある。日々の思考をゆるくまとめる。コメントは感想レターかBlueskyにてお気軽にどうぞ:bsky.app/profile/rkd3.dev