世の中では広告ブロッカーが流行りつつある。背景としては「目障りな広告」「広告の量や場所の悪さ」「誤クリックを誘発しようとする悪質な広告」などによって読者体験が毀損される場面が多いからだと思われる。
また、そういった背景で広告ブロッカー業界が賑わい注目されることで、今までネット上の広告について深刻に捉えていなかった層に対しても広告ブロッカーの宣伝が行き届いているということも考えられる。実際、広告ブロッカーを入れれば画面はよりシンプルになって、通信量も抑えられ、詐欺広告をクリックしてしまうリスクも減る。消費者の目先の利益だけを考えれば導入するのが最適な行動である(広告ブロッカーによる情報の窃取やプライバシーの侵害の可能性に目をつむれば)。
とはいえ、広告ブロッカーの流行によって今まで広告収入を頼りにしてきたサイトは大打撃を受けている。つまり「悪質な広告にうんざりしている消費者」に対して「広告ブロッカーの提供者」がツール提供し「Webコンテンツの提供者」の収入が低減しているという構図である。この三者が健全な関係を構築できないと今のWeb広告の仕組みが崩壊してしまい、もしかしたら消費者が無料で良質なコンテンツを得るという環境自体が失われてしまうかもしれない。
以下では登場人物を大きく「消費者」「AdBlocker提供者」「コンテンツ提供者」に分類しそれぞれの視点で全体の問題を整理した上で、この状況を打破するためにできることを提案する。
消費者
前述した通り悪質な広告やサイトはどうしてもなくならない。そうすると広告ブロッカーを導入したくなるのは当然の心理である。
今のところ広告ブロッカーの導入自体を違法とする根拠は無い。実際に海外では裁判も起きているが広告ブロッカーの提供や利用が違法という判決は無さそうである。
ただし量や場所に気をつけて広告を設置している良心的なサイトに対しても広告ブロックをしてしまうというのはあまりモラルのある行動とも言えない。また、そもそも全く広告が無い状態であらゆるWebページを閲覧したいと考えて導入する消費者については、あまりに身勝手だとも思う。なぜそのサイトが無料で提供されているのかをよく考えてほしい。
インターネットを守るために消費者ができることは 悪質な広告の貼り方をするサイトのみをブロックする ということだ。そのためにはホワイトリスト/ブラックリストの運用が必要となる。とはいえ現状ではホワイトリスト形式(つまりデフォルトですべてのサイトの広告が消されるという動作)が基本であり、そうすると訪問したサイトが悪質な広告の貼り方をしていないかどうかを判断できず、結局サイトをホワイトリストに入れるという運用がされることはない(そういう観点ではSafariの「気をそらす項目を非表示」は本記事の思想に沿っていると言える)。
さらに、仮にブラックリスト機能がデフォルトであるツールがあったとしても、そもそも何のメリットや必要性もないのに消費者にこれらの運用を強制するのは難しい。インターネットを守るために個人の行動をモラルによって統制しようというのはかなり無理があるし、もう少しインセンティブによる行動変容を促す仕組みを考えたい。
AdBlocker提供者
詐欺やプライバシー侵害を防止するための広告ブロッカーであると考えると社会的意義があると感じられる。しかし広告がない方が快適ですよねという売り文句を掲げるのであれば、それはもはや悪徳業者と言わざるを得ない。
現在のインターネットには良質な無料コンテンツが多くある。そのコンテンツ提供者への対価を自分たちが横取りし、さらに良質な情報が無料で手に入るような環境自体を破壊する方向に世の中を動かしているわけである。搾取するだけして、もし広告という仕組みがなくなればまた別のビジネスをして儲ければいい、と考えているのであろう。
もし最初に書いた通り詐欺やプライバシー侵害への対策ということであれば、そういった悪質なサイトだけをブロックできるように手間をかけて 事業者からブラックリストを提供する か、または消費者がそれぞれでメンテナンスできる ブラックリスト機能を標準とすべき であろう。(一部、ブラックリストとして使える機能を搭載したものもある。設定方法や使い勝手はいまいちだが。)
さらに、そもそも本来は サイトごとブロックするという機能 にするのが望ましい姿である。悪質なサイトであるからと言って、利用者も悪質になっていいというわけではない。
これらの機能が無い時点でやはりAdBlocker事業者に悪意があるということは確実である。ただ、そういった悪意のある業者はどうしても発生してしまうというのも仕方ない(いつまでも犯罪者はこの世からいなくならないように)。こういった存在があるという前提でできることを考えたい。
コンテンツ提供者
消費者の行動は変えられない。AdBlocker事業者のような悪徳業者は無くならない。ではコンテンツ提供者はどうか。ここからが本題である。
最初に書いた通り世の中には悪質な広告の貼り方をするコンテンツ提供者が多くいる。これは広告の表示回数やクリック数に応じて報酬が入るシステムになっている以上やはり仕方のないことである。
Googleはパブリッシャー向けにも厳しい審査基準を設定している。これ自体はすばらしい取り組みだと思う。ただしそれをすり抜けるものが無い保証はないし、別の基準の緩い広告プラットフォームを使う手が残ってしまう。こうした取り組みをしない方が消費者を犠牲にして儲けられるのだから仕方ない。
一方で読みやすさを重視して控えめにしか広告を貼らないコンテンツ提供者もいる。手っ取り早く収益を高められるような悪事に手を染めず、コツコツと独自性の高い良質なコンテンツを作成し、広告収入の低下を受け入れている人たちである。
彼らはどうすればいいのだろうか。引き続き収入低下を受け入れ続けていくしかないのか。しかし広告が衰退していく未来が見えてきている中では、いずれ破綻してコンテンツ作成を終えてしまうことになるだろう。それでは世の中のためにならないし事業としては失敗である。
広告以外の手もあるが
もちろん広告以外の収入構造を構築するという手もある。コンテンツを有料化したり、いわゆるアフィリエイトコンテンツを増やしたり、などが考えられる。しかし、ここではGoogleのような広告プラットフォームを利用するモデルを維持するためにできることを考えたい。なぜなら、有料コンテンツ化もアフィリエイトの導入も、現状のインターネットを救うには至らないからである。
有料コンテンツ導入は一見良さそうではあるが、もし現在広告を貼っているサイト全てが有料記事になったらどうだろうか?まずGoogle検索に金を払う必要がある。今日の晩御飯のレシピを調べるために金を払う。プログラミングの文法を調べるために金を払う。そんな世の中が今より良いものであるとは思えないしそもそも成り立たないだろう。
ではアフィリエイトコンテンツを使うのはどうか。おそらく内容が特定の事業者に偏ったものばかりになるだろう。いわゆる比較サイトは成り立たなくなるし、特定の製品のレビュー記事も全てその事業者から金をもらって書くわけで要はサクラによるクチコミだらけになる。そしてそうした広告費を出す企業がいないような分野や製品・サービスについてのコンテンツは作るインセンティブが無くなる。これもまた良い世の中には思えない。
広告を守るためにコンテンツ提供者ができることは
前置きが長くなったが、やはり今の広告という仕組みを維持していきたいとした時、良心的なコンテンツ提供者は何をすべきなのか。私は 広告ブロッカー利用者に対してコンテンツを提供しない という行動を取るべきだと考える。なぜならば消費者やAdBlocker提供者の行動変容を促し全体を良い方向に進めるインセンティブが生まれるからである。
消費者がサイトを訪問しようとしたとき、広告ブロッカーを使っていることでサイトがブロックされたとすると、消費者はそのまま離脱するか、広告ブロッカーをオフにしてサイトを閲覧するかの二択を迫られる。他に十分良いコンテンツが揃っていれば離脱するかもしれないが、本当に独自性の高いコンテンツを提供しているサイトや、界隈全体が同じようにブロックする行動を取っていれば、消費者は広告ブロッカーをオフにするモチベーションは十分にあるだろう。これにより、消費者はサイトのコンテンツの質や広告の貼り方をより意識し、ホワイトリスト/ブラックリストをメンテナンスするインセンティブが生まれる。
消費者のそうした行動が一般的になるほど、次はそうしたホワイトリスト/ブラックリストを便利に運用できるような機能をAdBlocker提供者が提供するインセンティブが生まれ、より消費者も使いやすくなるという良いサイクルが生まれる。
本当は、広告だけをうまく消してコンテンツを表示するというツールの開発も縮小されていってほしいが、どうしても広告をベタベタ貼るような独自性の高いコンテンツを提供するサイトはなくならないため、広告だけを消すツールのニーズはなくならなさそうである。ただ結局そういったサイトは広告収入がどんどんと減っていくので、どこかで破綻してしまうだろう。
コンテンツ提供者からすると、広告ブロッカー利用者をブロックすることで評判が下がったり一時的に訪問者が減ってしまったりする恐れがあるということでなかなか踏み出せないかもしれない。しかし本当に独自性の高い高品質なコンテンツを提供できており、かつ適度な量の広告しか貼っていないサイトであれば、消費者は読みに来てくれるし広告ブロックは除外してくれるはずである。
そもそも、Webのコンテンツは公共性が求められたりするものではないし、会員限定や有料コンテンツというものも一般的である。広告ブロッカーをオフにしないと読めないという方針が非難される筋合いは全く無いし、広告ブロッカーの弊害が徐々に知られ始めている今であれば理解を示す人も多いのではないだろうか。
ちなみに私が運営するIT系技術ブログ (rkd3.dev) もその仕組みが入っている。たまに広告ブロッカーの除外設定をするにあたっての質問やコメントをいただくので、そういった行動を取る人が十分いるという根拠の1つになっている。
さいごに
ここで書いたことがすべてその通りになる保障は無い。しかし何かしなければ今のインターネットは徐々に衰退していってしまうのは確実だろう。
インターネットが発展した平成の時代を学生として過ごした私にとって、検索すれば知りたい情報がいつでも無料で得られるという体験は本当に素晴らしいものだったと感じる。なんとかこの世界を引き続き後世に残していきたいし、そのために多くの人に協力してもらえると嬉しい。