昔好きだった趣味があった。一人で初めた趣味で、周りに理解者もいなかったがそれでよかった。月日が立ち、インターネットで趣味について意気投合する人が現れた。今までは自己満足だったが、同じ趣味の仲間が増えたことでなんだか自分が認められたような気がしてとても嬉しかった。
知り合いが増えていくうちに、趣味に追われる錯覚を覚えるようになった。趣味だったはずなのに楽しい時間より苦しい時間が増えた気がする。趣味としての完成度は昔と比較して格段に進化したはずなのに。
他人が持つ機材が羨ましくもなったし、SNSでいいねの数を気にするようになった。いつの間にか誰かに勝つための、誰かに認めてもらうための趣味になっていたんだ。
みたいなことってあるよね、っていうのを、遠目にある界隈を遠目に見ながら考えてました。
タイムを競うような競技(例えばジムカーナとか)だったりが趣味であれば、誰かに勝つのも目標足り得るのでそれは別に問題ないし、趣味の性質にも依るけど、元来勝敗や数値評価でどうこうする世界じゃないところで、周囲を気にしすぎると自壊するんですよね。またそれを頑なに認めないことでモンスターが生まれてしまうこともある。
オーディオとかカメラとかは札束で殴るパワーゲームになるし、イラストやデザインみたいな世界はいいねの数が独り歩きしたりするし、勝敗だけですめばいいけど大衆が集まる場所だと妬み嫉みの話に発展してしまう。
私は趣味は究極の自己満足の世界だと思っているので、オーディオもそうだしクルマもそうだけど、そういったグループ、輪の中に自分からは入っていかないし、誘われてもノラリクラリ躱してしまう。趣味なのに競争社会や上下関係に晒されたくなから。
あとまあ、オーディオに関しては他人の言ってることを鵜呑みにして良い結果になったことがない、というのもあるかな…。自分の耳が特殊なのかもしれないとも思ったけど、そんなに外れてるわけでも無さそうで、結局他人に振り回されたくないというのはかなりある。なのでSNSでおすすめとか聞くには聞くんだけど、最後は自分で聞いたり、直感を信じたりする。こっちも外れるときは盛大に外れるけどね。でも人のせいじゃなくて自分のせいだから、他人を恨まずに済むのが精神的に楽なんですよね。
いやまあ、そもそも決めたのが自分なら他人のオススメだろうと自分の責任なんですけどね。自分にそういうつけいる隙を与えたくないみたいな感じです。