書き散らしたものです。随時編集するかもしれない。
天野凪がどういう役割で、どういう周辺を持っているのかは、天野凪ファンになったであろう天気の子既視聴者の皆様なら説明するまでもないだろう。
よって、天野凪に列なるものについて述べるべきなのだ。天野凪に列なるものとはなにか。世界すべてである。天気の子作中世界のうち、空以外のすべては凪くんのために存在し、凪くんを生み出すことを至上命題とした世界なのであるから、それは自明だ。
天気の子における作中の現実世界を現実と呼称することにする。凪くんは現実に存在する。というより、現実以外に存在しないという方が正しい。現実ではないところにいるのは人物の中では姉とその男、しいてあげればお寺だか神社だかの人だろう(あのシーンは現実が登場するだけで現実としての描写はされていない)。彼らが空のことについて話すとき、凪くんのことは表に立たれない。
姉、天野陽菜は人間ではない。物語的にもそうだし、構成上も人間との対比として描かれているだろう。つまり、離島という隔離された空間から脱出してきた帆高が人間との関わりを通じ、世界がいかようなものであるかを理解し、しかし自分もその場所を捨てることが概ねこの物語の大枠になるが、人間との関わりというのはK&Aプランニングしかり、その前のホームレス生活しかり、面接である。あの場面での帆高は最初怖いもの知らずのように見える。しかし、おそらくその形成は社会知らずだ。そこから、非人間的な陽菜との関わりを通じて自分もK&Aプランニングで手に入れた常人さを捨てることとなる。この点は警察がK&Aプランニングに来た後の各人の反応からも伺い知れるだろう。
そんな家族の中にあり、天野凪は陽菜と別存在として描かれている。姉への崇敬や心酔も見せるわけではなく、しかし軽蔑の意図もなく、またごくごくありふれた愛情を持つ。すなわち、天野陽菜におけるK&Aプランニングだ。
K&Aプランニングとは、大人と子どもという対比が存在するが、大人と子どもという対比が主目的であったようには思わない。もちろん、K&Aプランニングは助けようとすることができず、天野凪は最初から協力的であり、具体的な協力も行っていたという違いはある。しかし、身分や社会に縛られていなければK&Aプランニングも出来ていたであろうし、天野凪も出来ていなかっただろう。これこそが大人と子どもの差であるとすることもできるが、天野凪の向こう見ずさ、危うさが強調されているシーンはほとんどない。つまり、子どもであるからできることなのではなく、立場がない人間だからできることなのである。例えば天野凪がいとこであり19歳のキャラクターとして描かれてもさほど大枠には影響しない。私は好きになっていなかっただろうけれど。
天野凪の好きなところは彼が明白に若いということに由来する。