とあるカフェに行ったら、大きな暖炉が主役の空間であった。黒い鉄製のような四角い暖炉が四つの脚に支えられていて、燃えている木が小さなガラス扉の向こうに見える。暖炉のまわりの床や壁は石。近くの壁に沿って、燃料の薪が積まれたスペース。その傍に、灰掻きのような、専用の道具がぶら下がっている。
暖炉から1m以上離れたソファに座っていても、じんわり暖かい。店の人が私のコーヒーをサーブし、その足で暖炉に薪を追加した。
投入された原木は長さ50cm以上あり、かなり大きく見えた。それでもすぐに火が回り、バチッと音を立てながら暖炉の中が明るくなった。
それにしてもコーヒーがうますぎる。なんだろうこの感覚は。暖炉の輻射熱? いや、ここに来てから時間の流れ方が違う気がする。
冬が来る前に、毎年薪を割っているんだろうなあとか、毎日どんなタイミングで火入れするんだろうとか、急に出かけることになったときにどうするのかとか、たくさん時間を使うし、知恵があるんだと思う。
そんないろいろを蓄積した時間や場所それ自体が豊かだと思う。コーヒーがそれに共鳴している感じ。あれ、共鳴だとおいしくなさそうだ。コーヒーがその豊かさを体現している、かな。