元日というのは午前0時ぴったりに始まるのではなく、大晦日の夜からはもう新しい年がはじまっているのだと聞く。
たしかに紅白歌合戦などの大晦日の夜のイベントは新年を迎えるまでの場つなぎというよりもお祭りの本命そのものだ。その本命の最中に眠くなり、大晦日の22時すぎにはそそくさと布団の中に入ってしまった。
日の出を見るというにはとっくに出遅れたタイミングで目覚め、とりあえず近所の神社に向かう。ここは鎌倉時代の武士大庭景親を祀る神社で、そんな謂れを知る前からなんとなく三が日には通う習慣になっていた。
帰宅しておせちを食べてから二度寝する。このようなルーズな時間の使い方が正月だなあと思う。
夕方、龍が如く7を遊ぶ。横浜一の企業をめざしてボタン連打で大金を稼いでいると、緊急地震速報が鳴り、北陸で大地震が起きたという。
災害そのものを憂い恐れるとともに、元日にこういうことがあっていいのかという気持ちと、こういうことは常に暦や区切りなど関係なく起こるのだという再認識の気持ちが同時に起きる。
ゲームをし、マンガを読み、おせちとフェイジョアーダを一緒に食べ、戦争や災害のニュースを聞き、病を養い、心底たわいのないLINEスタンプを友人に送り、支援活動に寄附をする。
途切れのない時間の中で様々なことが起こり、その弥縫をするうちにまた様々なことが起こる。この世界はいつもそのようであり、そうであることを、あえての切断として制定されたのであろう日に、思う。