2023-11-18

rw
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お腹が快方に向かっている。怪しいタイミングはいくらかあったけれど何もかも下っていくことは無かった。明日には治っていてほしい。

ある発言について理解できることとそれが自分の意見であることは別であるはずだが、たまに理解できたことを自分の意見だと思ってしまうことがある気がする。

頻繁に(ある理屈の上で)正しいことを言う友人がいる。それでその友人は正しいことを言うという認識ができあがっているため、発言内容に依らず正しそうと思わされてしまっているかもしれない。人は自身の考えるそれと同じ意見に対して正しいと感じるが、逆に正しいと感じた意見を自身のものと同じであると認識してしまう現象があるような。その友人の発言の多くが自分も同意見であると感じてしまう。実際にその可能性はあるのだが、それではあまりに思考停止ではないか?と危惧している。

自分は対立がある(もしくは対立が想定し得る)状況以外で意見を述べることが少ない。状況を改善するための手段としてしか、意見を述べるという行為の有益性を理解できていなかった。しかし空中で状況を仮定して意見を述べるということが可能になると、これは思考力や性格のアピールにも使えるし、いかにも信念がありそうな印象を与えられる。

いわゆる例え話をすることにも似ていて、ある状況でどう行動するかではなく、ある仮定に対して自分はどう考えるかという論法である。自分の観測範囲ではシリアスな状況でこれを繰り出す人間はいくらか居たが、日常会話でこれが出せる人間はなかなか見たことがない。盗みたい技。

話が逸れたが、正しさと自分の意見は分けて考えられないと危険だなあと感じる。

@rw
1日振り返って思ったことを書きたい