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ASD/ADHDのこと他いろいろ

ryan333
·
公開:2026/10/5

自分はADHDなのではないか?という疑問は、もう随分前から抱いていた。みんなが上手に、難なくこなしている(ように、少なくとも自分には見える)ことが、なぜか自分はできない。部屋の片付けが苦手だし、面倒なことは後回しにしてしまう。しかし、ASDであることには全く思い至らなかった。自閉症と聞くと、なんだかとても重い障害というイメージがあり、自分と結びつけて考えてみたことはなかった。

数年前、図書館でたまたま手に取った本が、自分が日常の中で直面している多くの困難を説明してくれた。「自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界」という本である。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309310084/

私は感覚過敏で、特に音や光、匂いなどに、どうやら他の人より敏感なようなのである。例えば、ノイズキャンセリングイヤフォンなしでは、東京の混雑した電車に乗ることは難しいし、蛍光灯の真っ白い光が、強すぎると感じることもその一例だ(だから夏でなくても、サングラスは必須だ)。柔軟剤の匂いがついた服は着ることができないし、生地によってはチクチク、ゴワゴワしたりして着られない服もある。この本を読んで、これは自分を観察して書かれたのだろうか?と思うほど、著者が経験している困難の数々が、自分にも当てはまった。

自分の困難に名前がついたことで、私は心底ホッとした気持ちになった。そうか。このつらさを抱えているのは、自分だけではないし、自分が何か選んでこうなったわけでもないのだ、と。デミ・ロヴァートの歌うlet it goという曲に、"I'm too relieved to grieve"という一節があるが、そんな心境である。「辿り着いた場所でやっと息がつける、人生を置き去りにしてきたけど、悲しいより解放された(喜びの)方が大きい」というような感じの歌詞だ。

たとえば私は、よく行くレストランの、決まったセットメニューが好きだ。同じ環境、味に安心するからである。外食をするときは、照明があまり明るすぎず、賑やかすぎず、適度に開放感を感じるお店がいいという条件(もちろん禁煙!)があるので、その条件をクリアするお店に行くのが、一番安心できるのだ。

また、疲れやすいことも、感覚過敏が関係しているらしいと本を読んでわかった。ASDの人は、一度に大量の情報(視覚や聴覚など)を処理するので、脳が疲れてしまうのだという。確かに、いつも何かを考え、分析し、感じ、それを処理しようと頭が働いている感覚があり、まるで、ブレーキをかけても止まらない車のように感じて、ひどく疲れることがある。

外国語を勉強したときに、聞き取りやシャドーイングが比較的得意だったのは、聴覚が敏感なことが、たまたまプラスに働いたのだろう。気に入った音楽は繰り返し何百回でも聴けるし、子供の頃からパッヘルベルのカノンが大好きである。涙が出るほど美しい音楽があれば何もいらないと思うほど、音楽は何度も私を救ってきた。こんなに美しい音楽があるのに、何が悲しくて、人間はいまだに戦争なんかしてるんだろう。そんなことを、ずっと思ってきた。

映画館に通うのも、日本語ではない言語に身を委ねたいからだ。母語ではなく、字幕なしには理解できない言語は、ある意味では音楽にも似ている。劇場はまた、音響に特化した特別な空間だ。子どもの頃は近くに映画館がなかったので、一人で映画館に通うようになったのは、高校生になってからだった。家から徒歩で行けるところにいくつも映画館がある、ラッキーな環境だった。私が試験勉強をしていると、父は、そんなに勉強ばかりしていないで映画でも見てきたらどうかと言ってきた。我が親ながらよくわからない人であるが、そういう親だったので、勉強もそこそこに、映画館に行くことを覚えた。今のように定額聴き放題のストリーミングサービスなどない時代だ。劇場でサウンドトラックCDを売っていて、劇伴が気にいると、それを買って何度も聞いた。

発達特性のことは、以前にカウンセラーに「自分はいわゆる発達障害ではないかと思う」と相談したら、芸術分野で活躍している人には、そういう人が多いですよ、と言われたことがある。そのときは、私は芸術を勉強したこともないし、日常で大変なだけだから、「普通」の方がいいなあ、と思ったものだ。「普通」って何なのかはよくわからないまま、「普通」であろうとして、涙ぐましい努力をしてきた。

しかし、本当に、「普通」ってなんなんだろう。みんなが考えている「普通」。

気候正義を訴えているグレタ・トゥンベリもまた、自閉症であることを公表している。自閉スペクトラム症の人の特性の一つとして、不正義の状態を耐え難く思い、正義を求める強い感覚を持っていることがあるそうだ。

考えすぎだとか、潔癖なところがある、と人に言われたことがあり、自分ではピンときていなかったのだが、これもASDで説明がつく。

上に紹介した本と同じ人が翻訳を担当している「世界はうるさいままだけど」も読んだ。ASDの人たちの多くが感じていることが、率直にタイトルになっている。本当に、世界はとんでもなくけたたましい!のである。

https://www.toyokan.co.jp/products/6389?srsltid=AfmBOorCfskM1PIPd3tHV6vPPk0qjN0_amEmkxKA-hnWzYDfDR5ExIbE

「自閉症(もしくは、なんらかの障害があること)はスーパーパワーである」という表現をよく見かける。そう思える人も、確かにいるのかもしれない。しかし、今のところは、私はそこまで思えるほど強くはない。ただひたすらに消耗するし、つらいだけである。

ヨーロッパのどこかの街で、自閉症の当事者が監修した公共施設ができたそうである。そこでは、たとえば、照明が眩しすぎないようになっているらしい。素晴らしいことだ。他にもスーパーマーケットで、感覚過敏の人のために照明を普段より暗くし、BGMもかけない日を定期的に設けるなどの取り組みをしているところもあるそうだ。日本では、赤ちゃん用品を取り扱う西松屋が、ベビーカーでも買い物しやすいように通路が広く、また、眠っている赤ちゃんを起こさないようにBGMも流れていない。このような取り組みは広まってほしい。

ついでに言うと、ASDは関係ないのだが、日本でもレジの人は座ればいいと思う。海外に行くと、働いている人たちは、もっとおおらかだ。鼻歌を歌いながら給仕してくれる人もいるし、スペインでバスの切符を買ったとき、窓口の人はポテチを食べていた。働くって、そんなんでいいよなって思うのだ。そうじゃなきゃ、やってられませんって。

幼い頃から、日本でずっと働いて年老いていく自分が、どうしても想像できなかった。人間、想像もできないことを実現するのは難しい。今思えば、これは、自分がASDであることと、クィアであることがおそらく関係している。

クィアな人たちはしばしば、これまた芸術分野で活躍していることも多い。しかしこれは、クィアの人たちが、一般的な労働市場からはじかれやすいこと、異性愛者同士の結婚が「標準」と想定される人生設計には当てはまらないことの裏返しでもあるだろう。少なくとも私にとって、仕事を探すことは苦痛でしかなかった(楽しんでやっているという人の話もあまり聞いたことがないが)。パンプスもストッキングも大嫌いだし、何より面接が嫌で仕方ない。質問が予測できないことに加え、本音は隠した方がいいなど、ASDの人たちがもっとも苦手な状況の一つである。ここでもまた、「擬態」することを求められるのである。

今まで私が最も長く勤めたのは、大学での仕事だった。有期雇用だったが、皮肉なことに、正規雇用だった会社員の頃よりも、ずっと落ち着いて働けた。大学は年間の行事予定も決まっているし、電話も多くはない。夏休みも冬休みもあり、学生がいないキャンパスは嘘のように静かだった。昼休みは図書館で好きなことをして過ごすことができた。当時は自分がASDであるとわかっていなかったので、この静けさがいかに貴重なものか、知る由もなかった。儲けを出さなければいけない会社とは違うので、ノルマもない。働いている人たちも女性が多く、大声で喚く非常識な人もいない。みんな余裕があり、ゆったりとした空気が流れていた。

その大学で正規雇用になれば、十分な待遇も定年まで約束されていた。それなのに、なぜか私は、雇用最終年度に、正規雇用になれる試験を受けなかった。悔やんでも悔やみきれないとは、このことである。「普通」の人なら、結果がどうであれ、間違いなく試験は受けただろう。それが最も合理的で常識ある行動というものだ。しかし当時、人事異動があり、苦手な人が職場にできてしまったのが原因だったと思うが、ひどく疲れ切り、投げやりになっていた。ある種のセルフネグレクトだったのかもしれない。結局、雇用任期満了でその仕事は終わり、その後は長い間、新しい仕事が見つからず苦しむことになってしまった。後の祭りであったが、このことで長く自分を責めた。

そんなこんなで、子育てをしていたわけでもないのにブランクがあり、また、直近の仕事も一般的な会社ではなく、特殊な職場にいたため、「普通」の人の経歴とはかけ離れてしまった。だから、もう若くはない私が企んでいることは、海外に逃げることだ。企んでいると言っても、実現するのは容易ではないだろうが、しかし、この先ずっと日本で暮らすことの方が、私にはよほど難しく、息苦しいことに思えるのだ。どのみち「普通」でないなら、もう、普通であろうとすることに労力を注ぐのはやめたい。

逃亡先(?)候補の一つはオランダである。先日、オランダではゲイの首相が誕生した。イェッテン首相のセクシュアリティは、オランダでは特に話題にもならなかったそうだが、彼はクィアの人たちが差別から守られるよう、予算を組んだということである。少数派の声がどれだけ尊重されているかを見れば、その社会の民主主義の成熟度がわかるというのは、全くそのとおりだ。

アムステルダムは、以前に一度旅行したことがあるだけだが、性的少数者も暮らしやすい街とされる。美術館では、失業中の人のための料金が設定されており、感動したのを覚えている。職を失っただけで、社会とのつながりまで失うのはおかしいし、公共の場所とは、すべての人に開かれた場所であるはずだ。仕事が見つからず精神的に参っていた頃、図書館は、私がただそこにいることを許してくれた場所で、こんな場所は他にないと思った。

ちなみに私には、海外で働いているきょうだい(ちなみにこのきょうだいにも性別のわからない名前がついている。名付けた親は昔の宝塚スターからとったそうだが、男性に女性スターの名前をつける、よくわからないセンスの親である)や、ずっと一人で働いて、定年後に家を買い、90歳を過ぎた今でも元気に一人暮らしをしている親戚がいる。彼らは私にとって文字どおり北極星のような存在であり、希望である。他にも、結婚していて子をもうけていない人たちや、養子をとった人たちのことや、一人で親になった人も知っている。いろんな生き方があるし、それが当然だ。

性別が「自明」のことであるというのなら、なぜ社会には「男性/女性用」とされる名前があるのだろうか。私の名前は、性別にあまり関係なく使われる名前で、時々男の子に間違えられたりしたこともあり、昔からジェンダーのことについて考えることが多かった。「ジェンダー」という言葉は、高校生くらいになってやっと知ったのだが。

セクシャリティやジェンダーに関しては、海外ドラマを見たり、英語の記事を読んだりして、新しく言葉を覚えることが多かった。スティーグ・ラーソン「ミレニアム」シリーズのリスベットは、バイセクシャルで、お気に入りのキャラクターだ。多様な人種、セクシャリティの人たちが出てくるドラマを見ていると、ホッとした。アリー my love(原題:Ally McBeal)などは、ビデオに録画して何度も見たシリーズである。gleeも大好きだった。

海外に行きたいなどと言っているわりには、私はいつまで経っても英語が苦手だが、いろいろな言語を積極的に学んでいる人もいる。日本語だけだと、アクセスできる情報が限られることに加え、日本では罰則付きの差別禁止法もなく、いまだに戸籍上の「男女」でしか結婚できないため、性別に関係なく結婚制度を使える国に行く選択をせざるを得ないという切実な理由もあるだろう。先日読んだ漫画では、男性同士のカップルが、日本からアメリカに行って結婚していた。

昔、中国からの留学生に「日本語の、男らしい、女らしいって、なんですか?」と聞かれて答えに困ったことをよく覚えている。本当に、なんでしょうね、それ。私にもよくわかりません。

なんだかとりとめがなくなってきたので、今回はこの辺で。

脈絡のないついでに、好きな本を5冊ほど紹介して終わろうと思う。悲しいことに、本屋や図書館は好きだ(というか、仕事がなかった時にいられる場所が図書館か映画館くらいしかなかった)が、実はあまり読書が得意ではないため、気に入った本を何回も読む方だ。

1)アレクシス・ホール「ボーイフレンド演じます」金井真弓訳

https://www.futami.co.jp/book/5202

この本の続編は2冊出ているが、いずれも2026年8月現在で日本語訳が出ていないため、オーディブルで英語版を聞いた。Joe Jamesonによるナレーションが最高である。A24制作でドラマ化が決まっているらしいので楽しみだ。

https://deadline.com/2026/04/a24-tv-series-alexis-hall-boyfriend-material-1236875549/

2)タナハシ・コーツ「僕の大統領は黒人だった バラク・オバマとアメリカの8年」

https://www.keio-up.co.jp/book/b10164512.html

映画「イコライザー2」の中で、デンゼル・ワシントン演じる主人公マッコールが、コーツの名を世に知らしめた傑作「世界と僕のあいだに」を読んでいる。私にとっても忘れ難い読書体験だった。ものを書くという行為によって、これほどまでに読者を文字どおり揺さぶることができるのか。それにしても、オバマを選んだアメリカが、なぜあんなことに。つらい。

3)阿部大樹「Forget it Not」

https://sakuhinsha.com/japan/29376.html

ハリー・S・サリヴァン「精神病理学私記」で日本翻訳大賞をとった、精神科医でもある著者のエッセイ集。この人の訳したもの、書いたものは、刊行されているものは全部読んだと思う。いや、待てよ。ロバート・ジャーヴィスの訳書(分厚い)はまだ積んだままだ。いずれにせよ、そういう書き手/翻訳家がいることは幸いである。

4)ディディエ・エリボン「ランスへの帰郷」

https://www.msz.co.jp/book/detail/09788/

階級を滅ぼすには、あとどのくらいの時間が必要なのだろう。

5)ファン・ジョンウン「ディディの傘」斎藤真理子訳

こんなにすごいものを書く作家でも、「専業作家を辞めたい」と考えることがあるそうだ(インタビュー集「韓国の小説家たち1」による)。まして私なんかが、やばい会社を辞めたいと思うのは当前だと思える。