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体調のこと、辞めた仕事のこと。

ryan333
·
公開:2026/8/21

睡眠障害の症状がいつ頃から始まったのか、古い日記や薬の記録を掘り返せば、おそらくわかるだろう。ある時から、夜中に目覚めて、その後、寝付けなくなってしまうことが増えた。これは、なかなか堪えることである。

ある時期、長い間仕事が見つからなかった。自分などいないほうがいいのでは、と考えるほど精神的に追い詰められていて、心療内科で薬をもらってやり過ごしていた。しかし、毎晩ひどい寝汗をかき、翌朝にはシーツを絞ったら水が垂れてくるのではないかと思うほど、汗びっしょりになって目覚める日々が続いた。夜中に、からだじゅう汗でベタベタな状態で目覚め、あまりにも不快でシャワーを浴びることもあった。それが連日続くものだから医者に相談したが、汗を止める薬はないと言われて終わりだった。おそらくは自律神経がおかしくなっていたのだろうと推測される。具合が悪くて病院に行っている私に、心無い言葉をぶつけてきたりして、あまり頼りにならない医者であった。

しばらくして、ようやく仕事を見つけ、引っ越して病院にも行かなくなった。体調は持ち直したものと思われた。

ここでならしばらくは落ち着いてやっていけるのかもしれないと、ぼんやり思い始めた矢先、部署異動が決まった。静かだった環境も、狭い空間に物が溢れ、けたたましい電話の鳴り響く、お世辞にも快適とは言えないものになってしまった。しかも異動先は、予算がなく、清掃業者すら雇えないため、トイレ掃除やオフィスの掃除機かけ、ゴミ捨てなどは、自分たちで当番制で回しているというのだ。こんなことは、求人情報では一言も触れられていなかった。清掃業者も入っていない職場など、今まで勤めていたところでは考えられなかった。

私が最も耐えられなかったのは、ある一人の人のうるささであった。私は感覚過敏で、音や光、匂いなどに人一倍敏感なのだが、それを差し引いても、とにかくその人は、とんでもなく、うるさかった。四六時中、だらだらと電話をかけまくっているのである。異動してすぐ、なんとその人の隣の席を使うように言われ、ノイローゼのような状態になってしまった。自分の感覚過敏のことは、すでに担当者には知らせていたにもかかわらず、職場で最もうるさい席をあてがわれたことに私は怒った。すぐに「こんな場所では仕事にならない」旨を担当者にメールをし、なんとかその人には、少し離れた席に移ってもらうことができた。

それでも、その人が一日中、電話をかけてダラダラとどうでもいいことを話し続け、敬意のかけらもない態度で他の人たちに当たり散らすことは変わらなかった。さらに悪いことに、自分より若い人たちや女性に対して、露骨なハラスメントをするので、ついには耐えられず辞職する人まで出た。担当者には何度も「ハラスメント禁止の規定を作ってくれ」「あの(うるさい)人をどうにかしてくれ」と懇願するメールを書いた。しかし、年老いた担当者や役員たちは、何が問題なのかもわかっていないようだった。ようやく彼らが重い腰をあげたのは、その人が、職場の外の人にもハラスメントをしてしまい、それが指摘されてからであった。

最悪なことに、私が職場のハラスメントを指摘して改善するよう求めたことを快く思わない人がいたようで、のちに別の人からもハラスメントを受ける事態も発生した。救いようのない職場である。

とにかく小さい職場で、役員が、自分の家族に会計をやらせているようなところだった。縁故採用って本当にあるのかと驚いたし、そんなことを知っていたら、そもそも求人に応募しなかっただろうと思う。また、上に書いた、とにかくうるさく、態度がふてぶてしいだけで、実務能力のない(ように私には見えた)人も、その役員がなぜか気に入ってわざわざ連れてきた人だということであった。

高齢の男性ばかりで、女性も若い人もほとんどいない職場だったから、時代錯誤なハラスメントが放置され、誰もそれを問題とも思っていないようだった。事務所の掃除をサボるのも、見ていると男性ばかりだった。先輩の女性たちは、半ば諦めたように、男性たちがやらない給湯室の掃除などを、当番でもないのにやっていた。

そんなある日、定期検診で卵巣に嚢胞が見つかった。良性のものだが、放置して大きくなると、捩れて周りの臓器に触れて激痛をもたらすらしい。手術で取った方がいいと言われた。すぐに手術が決まり、6日間入院、その後2週間は自宅で安静にするよう指示された。

全身麻酔は初めてだったが、手術が終わると、看護師さんや、見舞いに来ていた親が自分の名を呼ぶのが聞こえた。なぜだか涙が出てきて、「ああ、私は今の職場を辞めたいんだな。辞めなきゃ。親にも言わないとな」と、目覚めながらぼんやり思った。

まとまった休みの取りにくい職場だったので、病気の療養のためとはいえ、2週間も休めることに、正直ホッとした。以前に大学で働いていた頃は、夏休みや冬休みがあったし、みんな長い休暇を取るのは当たり前だった。だから、有給を使うのにいちいち上司や同僚に理由を説明しないといけない空気のある職場なんて、考えられなかったし、苦痛だった。同僚が、休むたびに事細かに家庭の事情やら何やらを説明し、いちいち謝ってくるのも嫌だった。

転職自体は、もっと早くから考えていたのだが、フルタイムで働いていると、本腰を入れて別の仕事を探すのは至難の業だった。病気で2週間職場を離れてみて、自分がいかにこの、時代錯誤な環境にうんざりし、疲れ切っていたかを自覚した。世代交代に失敗していることは誰の目にも明らかで、若い人を育てようともしない、もはや沈みかけた船のような職場であった。

手術から復帰してすぐ、繁忙期になり、大量の仕事をこなしていたが、夏の酷暑が、私に致命的なダメージを与えた。原因のよくわからない微熱が2週間ほども続き、だましだまし炎天下を通勤していたが、私はもう耐えられないと思った。ネットで検索し、診断書をすぐに書いてくれる医者を探した。診断書を得て、ひとまずは一ヶ月間様子を見ることになった。私は二度とあそこには戻れないとわかっていた。絶対に戻るまいと思った。通院しながら半年が経ち、休職期間が満了になると、私は、そのままその職場を辞めた。

つらい環境を離れたことで体調も戻り、今はようやく、次の仕事を探さないとな、と思えるようになってきたところだ。夜も、薬を飲まなくても、朝まで目覚めずに眠れる日もある。次の仕事は、できればリモートでもできるところがいいのだが。

当面は、この酷暑が過ぎ去るまで待とうと思う。