こういうやつが大嫌いだ。よくわからない抽象的な現代アートを「良し」と言ってみたり、ポップスミュージックを冷やかな目で「悪し」と言ってみたり。その逆張りの行為自体がイカンわけではないが、いざなぜ良しなのか悪しなのかを語れといえば、口をつぐんでしまう。または、誰かさんの言葉を仮託して文化人ぶるための隙を与えてしまう。もっとお前の言葉で語ってくれ、お前の世界を見せてくれよ!
と僕は思う。けど、いざ自分がどうかというと、なんとも貧相な体験談しか話せないことが悔しかった。自分も文化人の振りをしたいから、小手先の知識を人に披露することはある。しかし、それが僕の血肉になっていないわけで、教養とか知恵になっていない。だから、いざそれについて語れとなれば、まさに自分の嫌いな人間の行動と同じことをしてしまう。
この自己否定は成長機会だ。きちんと自分の言葉で語るために
一次資料にあたる
完全にその資料内の内容を説明できる
自分の言葉で咀嚼する
友達に話す
というようなことが必要だろうと思う。
どうなんだろう。テーマを毎回決めたほうがいいんだろうか