貸し借りの話

ryo_nagata
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公開:2023/12/19

初めてしずかなインターネットに投稿してみます。

せっかく初めての投稿なので、経営をし始めてから学んだ、人生で最も大切だと思っていることの話をしようと思います。

お金の話

日々、XのTLを眺めていると年収マウントをしている投稿が流れてくることがあります。

このような投稿を見かけても、あまりいい気持ちにはならないのですが、投稿者が多くのフォロワーを獲得しているのを見ると、需要は一定数あるようです。

自分はというと、収益を上げなくては存続ができない本業を除いては、業務上もプライベートでも、極力だれかからお金を貰わないようにしています。

そう思っている背景についてお話しできればと思います。

お金とは何か

お金とは、面識や信用のない他人同士が契約を巻くためのツールです。

お金は、世の中にある交換可能なものの価値の指標であり、誰が持っていても同等に扱われます。

お金を介することで、どんな人の間でも、価値の交換をスムーズに行うことができます。

お金を介さない価値の交換

自分が経営者として事業を行う中で、お金によって交換できる価値は、人生の中で、ほんの一部に過ぎないと感じるようになりました。

お金に変えることができない価値で言うと「いつもXの投稿にいいねしてくれること」であったり「面白い刺激的な機会に誘ってくれること」であったり「大切な知り合いを紹介してくれること」であったり「話を聞いて欲しい時に聞いてくれること」であったりします。

他には、まだ交換可能な価値を作っていないにも関わらず、将来の価値に対して先払いをしてくれることもあります。

お金を介した価値の交換は、価値の授受が完璧に行われ、交換ごとに関係を終えることができますが、上記で挙げたような価値は、一方的に受け取ったり、逆に与えたりします。

この価値は人によって受け取り方が違うがゆえに、指標が存在しておらず、価値の交換を終わらせないことができます。

全ての人間関係は「終わることのない価値の交換関係」と言うこともできます。

人は、換金できない価値の大きさに気付けない

人は、生まれてからしばらくの間、保護者や社会に守られて育ちます。

この時点で利害関係は存在しておらず、交換不可能な価値を一方的に受け取り続けることになります。

学校というコミュニティに属してからも、生きていくために必要な知識を、周りの大人から、一生懸命無償で与えられます。いい学校に入るために、いろんな大人が親身になって相談に乗ってくれます。

この関係性は社会の中で見るととても不自然で特異なのですが、それが社会の中で初めて結ぶ人間関係なので、なかなか「与えられている」という事実に気づくことはできません。

「一方的に与えられる」という状態が特に人生の初期では何度も続くために、多くの人が与えられることを当然として生きていくわけです。

しかし、社会に出ると、与えられた価値に対して、突然対価を求められるようになります。

与えられることが当然であった人生で、対価をもとめられると、どうしてこの人は自分のことを愛してくれないのか?と、憤りを感じます。

これまでに会ってきた人々の多くが、特別な愛を持って、もしくは社会からの要請によって、無償の奉仕をしてくれていたのですが、それはとても特別だったことに気づくのは、もう少し時間が経ってからです。

社会に出て、しばらくして、そもそも、社会や世界から無条件に愛される人などいないことを、いつか受け入れることになります。

与えてもらった恩を認知する

自分は大学在学中に起業をして、最初のキャリアで経営者という道を選んだのですが、これは本当に良い選択だったと思います。

自分が価値を生み出さない限り、対価を得ることができないことを身を持って体感することができたからです。

自分は、決して裕福ではありませんでしたが、とても恵まれた家庭に育ちました。それこそ、世界から愛されていると錯覚してしまうくらいに、たくさんの愛情を多くの人から与えられてきました。

当然、自分がする起業は、無意識のうちに世界から祝福されていると思っていたわけですが、起業をしてからすぐにコロナがきました。

自分は宿泊事業者向けのサービスを展開していたので、本当に地獄でした。

毎日毎日、寝ずにプロダクトを作っても一向に売上が立ちません。

どれだけ導入を頼み込んでも、お客様も苦しいので、断られます。

自分がどれだけ頑張っているかは、世界にとっては一切関心がないことなのだと、人生で初めて心の底から体感しました。

そんな中でも「あなたたちが頑張っているから」という理由で、サービスを導入してくださる方々がいらっしゃいました。

まだ僕らには実績もなく、宿泊事業を営んでいるご自身もとても苦しい状況のはずなのに「期待しているから」という理由でサービスを導入してくださいました。

、、、、これは、とても返しきれない。

お客様から、提供しているサービスの対価以上のものを受け取っていることに気づきました。

恩を返せる人にならなくてはならない

なんとか事業を黒字化させ、一息ついた後に、これまでの人生でも散々与えられてきたことに気づけるようになりました。

学生時代にエンジニアリングを1から教えてくれたインターン先の方々。

起業の際に快く送り出してくれた当時の会社の代表。

何者でもない自分に気さくにアドバイスをくれた経営者の方々。

創業してから、信じてついてきてくれたメンバー。

苦しい中で、共に苦しんでくれた共同創業者。

なにより、自分を育ててくれた両親。

ああ、自分は全然恩を返せてないじゃないかと、もっと言えば与えられていたことに気づいてすらいなかったじゃないかと、ものすごく恥ずかしくなりました。

なにか価値を与えられたのであれば、必ず返さなくてはなりません。

もし、もらった価値に気づけず、それを返せないのであれば、価値の交換の関係はそこで終わってしまいます。

人は一人では何者にもなることはできず、他の人が引き上げてくれて初めて、何者かになったかのように社会から認知されます。

人生の中で、何よりの資産は自分を信用してくれる人です。

何かを与えたら、いつか絶対に返してくれると思っているから、安心して価値を与えることができます。

価値を貰えるだけもらって返さない人には、いずれ誰も価値を与えなくなります。すべての人間関係は途切れてしまい、その人生はきっと豊かなものにはならないでしょう。

与えられた以上のものを、徹底して返す。

返して欲しいから返すのではなく、繋がっていたいから、より多くを返すのです。

そして、できるなら、その人を信用するためにより多くを与えます。

自分はあまりにも大きすぎる恩を受け取っているため、並大抵の成功では、きっと恩を返しきることができません。

すべての成功は、それを支えてくれた人に返すためにあるのだと思っています。

貸し借りをしっかりと意識することだけが、人生を豊かにすると思っています。

冷徹に聞こえるかもしれないですが、貸し借りの意識が低い人は、かつての自分のように、一切の信用に値しません。

自分に機会を与えてくださった皆様、今後の人生をかけて全力で恩を返していきます。

今後とも末長くよろしくお願いします。