カレーが好きだ。
食べると元気出るし、なんか結構ルールが曖昧っぽいのもすき。「カレーって書いてあるしカレーなんやろなあ」みたいなものまで遊び心が許されているところがすき。
「カレー」という言葉の懐の深さゆえか、カレー屋さんも1つのお店で複数のカレーを用意してくれていることも多い。チキンカレーとかキーマカレーとかポークピンダルーとか。もうなんか、チキンとキーマが同列のカテゴリとして並べて良いのかわからないし、言葉の粒度が揃ってるのかさえわからない。でもいいのだ、好きなようにやれるのがカレーだから。そういうおおらかさがある。
そして、数種類のカレーを1つの米にかけることを「あいがけ」という。お気に入りの本屋さんの近所にあるカレー屋さんも、いつも3種類のカレーを用意してくれていて、「あいがけ」できるようになっている。豆とか魚とか芋とかきのことか自由に組分けされて入っている3種のカレー。
毎回どれにするか迷う——、ことはない。私はいつも「全部がけ」なのだ。
昔、会社員だった頃、手相を見られる人が会社にいて、みてもらったことがある。「やりたいことがたくさんあるけど、どれを選ぶのがいいかな?」という相談をしたら、「あなたは全部やってみないと納得しないタイプ。全部やってみましょう」と言われた。
占いというのは「薄々そう思ってたんやけど、やっぱりそやんな!」と言いたくなることが多い。占い結果という事実はもちろんあるんだろうけど、その伝え方は相手の欲しいものに合わせて変えているんではなかろうか。そういう、言葉になってない気持ちを言葉にして相手に渡してあげるという意味では、エッセイストと占い師は似ているなといつも占いをするたびに思う。私もその占いで欲しかった言葉をもらって、なんとなく思っていた自分の納得する物事の選び方を見つけた。
それからずっと「迷わない、全部やってみる。」をできる限り意識するようにしている。
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カレー屋さん前の行列に並んで15分、小さなお店のカウンターに座ると、店員さんが笑顔で近づいてきて教えてくれた。
「今日はラッキーですよ、カレー、もう一種類つくったんです。4種類から選んでください」。
え、まじか。嬉しいけれど、「全部」できるかな。4種類あいがけできるとして、それぞれの量、めっちゃ少なくなりそう、と思ったので「4種類全部あいがけもできますか?」と聞いたら、案の定、頭の中にカレー皿を浮かべている表情で「うーん、無理ではないです。ちょっとずつにはなりますけど」と教えてくれた。まあでも仕方ない、私は「全部やる」の女なのだ。
私の目の前に届いた全部かけカレーをひとくち食べると、全部の味がそれぞれ抜群に美味しかった。やっぱり何事も全部やるのが大正解。どれかを選んでいなかったら「やっぱりアレも食べたかったなあ」と、ダラダラと考えていたに違いない。
全部美味しいけれど、ベストを選ぶならどれかなあ、と4つの味をホッピングしながら考えていると、隣にきっちりスーツを着たサラリーマンが、「よし。」と言いながら私の右隣に座った。店員さんが近づいてきて、サラリーマンが注文しようと口を開いた時、その前に知っておくべき情報として店員さんが4種類目の薬膳カレーの話をする。「ええっ」、とサラリーマン。結構びっくりしている。
「そうですか……ちょっと考えさせてもらっていいですか」と、神妙な表情で答えると、サラリーマンはメニューを手に持ってじっと目を動かさなくなった。「店員さんすみません、4つ目のカレーって何でしたっけ」「きのこの薬膳カレーです」「どうも」。またもやメニューをじっと見る。新カレーの登場にあんなに驚けるのも、カレーでここまで悩めるのもすごい。
店員さんを呼ぶと、サラリーマンは膝に行儀よく手を置いて、まっすぐな目で言った。「ここは、初志貫徹で、魚と野菜の2種をあいがけにします」。初志なんてあったんや、初耳。
店の前に今日のカレーメニューが書いた看板がかけられているから、店に入ったらすぐに注文できるように、どれにするか熟考の上決めておいていたのだろう。インスタグラムでのメニュー案内を見てから来た可能性もある。だから、新たな選択肢の出現にたじろいだのだ。貴重なサラリーマンのランチ時間やもんなあ、と思いつつ、急な状況変化に驚いて、結局迷った末に最初の決断に戻っちゃうの、わかるよ、と、心の中でサラリーマンに声をかけておいた。
「こんにちは〜」と、その時、まるで近所の常連かのように店に入ってきたのは、大きめのポロシャツを着たおじさんだった。私の左隣に座る。「へえ〜、いろんなカレーを出してるお店なんだ」。全然常連じゃなかった。
ポロシャツおじさんは、店員さんが薬膳カレーの話をする前にどんどん質問を投げかけていく。「このカレーとこのカレーはどう違うの?」「おすすめはどれ?」「そっか、あいがけもできるんだ」「ねえ、ピンダルーって何?」「この鯖ってどこのやつ?」「なんで里芋を合わせたの?」ポロシャツおじさんは質問の答えをもらうことで、追加情報を得ていく。私は全部かけカレーを頼んでいたので「あの味ってそうだったのかあ」と、もう一口食べたくなる。初志貫徹サラリーマンは、そういった情報はあまり耳に入れず、目の前のカレー皿に集中しているようだった。ポロシャツおじさんは「うーん、そうかあ」とニコニコ話を聞いている。情報って増えれば増えるほど悩むよね。特にカレーはそう、全部美味しそうだもの。
「あとは、今日は薬膳カレーもあります!」と店員さんがやっと言えて嬉しそうに言うと、ポロシャツおじさんも「ええ、それはまた美味しそうだな、」と答えて続ける。
「じゃあ、里芋のキーマカレーで」
気持ち良いほどの即答で、私と初志貫徹サラリーマンの手が一瞬止まったように見えた。4種類まで選べるのに、1種類で、いいの? 薬膳カレーのこと、さっき聞いたばっかりなのに、いいの?
「あいがけもできますけど」「いいです、キーマカレーいっぱい食べたいんで」
流れるように交わした会話から得られた情報によって常に状況が変わる中、たったひとつの真実見抜き、選ぶ。コナンくんもびっくりの決断力である。
小さな店のカウンター、3つのカレーが並ぶ。迷わず全部の味があいがけされたカレー、初志貫徹の2種カレー、対話の果てに選ばれたカレー。我ながら恐縮だけれど、みんなしてバラバラのカレーを満足そうに頬張っているのは、少しかわいらしいなと思ってしまった。
最初に決めておいた決断を実直に実行していくウォーターフォール型思考の初志貫徹サラリーマンと、会話を通してどんどん情報を得ていき最適解を求めるアジャイル型思考のポロシャツおじさんと、全部を選ぶ女であるわたし。あいがけカレーから見る、状況変化と決断のプロセス——、こんなにバラエティがあるなんて、ということも考える。
並んでカレーを食べているけれど、私たちは当たり前にあまりにも他人で、それぞれが自分の納得する方法でたどり着いたカレーを食べて満足している。誰もが納得する「完璧」なんてない、だから「あいがけ」は素晴らしい!いやいや、こんなことを考えたかったんだっけ。
最後に。ひとりめしのいいところは、「好き勝手」できるところだと思う。好き勝手選んで好き勝手食べれば良い。あいがけカレーは、その「好き勝手」を思い切り味わえる楽しさがある。
どれをどれだけどんなふうに選んでもいい、どれから食べてもいいし、どんなことを考えながら食べても良い。ひとりめしは「好き勝手」できるからこそ、私の場合、考え事に忙しくなりがちだ。
思いもよらず「好き勝手」を並んで楽しめた、よいひとりめしだった。