謝り返せる人であり続けたい

ryosukediary
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これは、加害をしてしまった時に、自分は悪くないと自己弁護するためのものではなく、何らかの出来事の末、自分が謝罪される側の立場になった時の考え方としての記録。

まだ実家に暮らしていた学生の頃、母親と何気ないことでケンカすることは人並みにあった。ケンカの種が自分だった時でも、翌朝「昨日はごめんなさい。」と謝ると、必ず母親も「私のほうこそ言いすぎた。ごめんね。」などと何らかの理由で謝り返してくれていたことが今でも記憶に残っている。あれは大人の建前だったのかもしれないけれど、自分の罪悪感をすっと溶かしてくれるやりとりだった。

人間関係の衝突において、多くのケースでは加害者/被害者がくっきりと分かれることは究極的には無いのだと思う。ある視点から見るとAさんが悪いけど、別の視点から見るとBさんも悪かったという具合に。

例えば同棲をしているカップルがいたとして、食後に皿を洗わなかったことを咎めるシーンを想定しよう。


👩「お皿、洗っておいてよ!!いつも言ってんじゃん!」

👨「ごめんね忘れてしまっていたよ...今洗うね。」

👩「言ってから洗うじゃ遅いよ。本当にあなたはだらしない!!」


大方の見解としては男性側が悪いということになるかもしれないが、感情に支配されている時は、攻撃的になったり、防衛的になったり、建設的ではない自分が表出してしまうものだ。

この例では、

  • 「攻撃的な言葉遣いで、建設的な対話を封じてしまっていないか?」(いつも言ってんじゃん!!)

  • 「相手の人格を非難する言葉を使ってしまわなかったか?」(あなたはだらしない!!)

  • 「そもそも一方的に生活の価値観を押し付けてしまっていないか?」(食後の皿の扱いに正解はない)

  • 「建設的な方向へ話を移せなかったか?」(謝罪を受け入れてどうすればいいか話し合う方向にできた)

など、一見悪くないと思われる女性側も、衝突をほぐしていくどころか、衝突による亀裂を深めることに加担していると見ることもできる。

カップル研究の第一人者であるゴッドマンの理論の中にも、リペア・アテンプトという概念がある。これは、関係が悪くなった時の修復努力のことを指す。何か起きた時に、相手のことを受け止めずに衝突し続けるのではなく、お互いに関係修復に向けて歩み寄る努力のことだ。衝突は2人の感情的な応酬によってのみ継続する。仲直りを目指すならば、相手の悪を証明して謝罪を求めるより、「自分も悪かったよ」と反省して相互に関係を紡ぎ直せる形が素敵だなと思う。互いに歩み寄れば、衝突は関係を深めるきっかけにもすることができる。

あの日の母親はこんなことを考えながら、謝り返してくれていたのかは知る由もない。ただ、あの時の仲直りは後腐れなく心地良かったことは確かだ。どんなに感情的になってしまったとしても、"自分も悪かったところあったよな"と思えるくらいには、変なプライドに固執せず、心の余裕を持てる人であり続けたい。

@ryosukediary
日々過ごす中で思うことを超個人的な目線で書き留めた言葉たち。