或る校訂本を引用した…というか引用しようと思って眺めているばかりでとくに何も進展していない。この18世紀に生きた校訂者には足を向けて眠れない。いやむちゃくちゃ向けている可能性ももちろんあるが気持ち的にはいつもそうだ。何年も、何十年もかけてこういう作業に励む人というのはどういう人格なのかなあ、と想像する。ひかえめにいって変わり者ではあろう。だが歴史の片隅で変人たちの築いてきた恩恵は、21世紀の極東に生きるヘッポコ野郎の畏敬の(そして畏敬が過ぎて匙を投げたくなるような)まなざしで、21世紀のいまも眺められている。もしこの学問が来世紀にもその意義を認められているとしたら、きっとそのときも。
ところでこの校訂者について、いままで何の疑問もなくファーストネームをJ、ミドルネームをDとしていたが、よく考えたら(いや考えなくても)彼はイタリア人なのでDはともかくJはGになるはずである。しかし校訂した原本がラテン語なのでJ、つまり「ヨハネス」を採ったということにすぎず、特段奇妙なことではない。
ロマンス語系の言語、すなわちイタリア語、フランス語、スペイン語などのファーストネームはほとんどがそのご先祖にあたるラテン語に還元できるし、場合によってはギリシア語に遡ることができる。なかにはマリア(Maria)やルーカ(Luca)のように還元する必要すらない名前もあるし、たとえば「カール→カルロ(Carlo)」のように、ゲルマン系の名前がラテン語に転写されてさらにイタリア語ふうになったものもある。それはひとえに、あのカエサルすら「ばかでかい身体で目つきがやべえ、真冬にマッパで水浴びしてるし、あいつらまじやべえ」と懼れ慄いたゲルマン人が、長い時間をかけて苦労して、フランク王国の天下を築いたおかげである。
つまりローマの街角で、全身タトゥーに鼻ピアスにソフモヒでオラついている兄貴パオロ(Paolo)は、あの超絶天才使徒パウロと同名であり、リストラされてしょんぼりしながらバールでコーヒーをすすっているアレッサンドロ(Alessandoro)は、東方遠征で有名なアレクサンドロス大王や歴代の教皇に用いられてきたアレクサンデルにその名の源をもっている。そういうことになる。
こんなことは、日本では有り得ない。現代日本におけるルール無用の命名ルールはそれでそれで文化的価値があるようにも思えるが、古代を通じて中世にいたり、さらにそこから近世、近代の荒波を超えていまなお使徒や聖人、偉人たちの名を継承しつづけていることに、ヨーロッパの風土の一片を感じざるを得ない。