全柴人口の1%程度にしかみられない「胡麻柴」という珍しいものらしい。犬の毛色の話である。背中を中心に黒く刷いたような毛がもさもさと生えているが、そういう色合いを指して胡麻などというそうだ。
けれどもね犬よ、もし君が胡麻柴でなくたって希少だぞ、なぜなら君は世界で一頭きりしかおらず、一度きりしかない犬生の真っ最中。自分よりはるかに小さなチワワやトイプードルに威嚇せずにはいられないその性格も、その身体にまったく似合わないビックなdoodooも、ごはんが気に入らないと廊下にぺったり伏せて上目遣いで眺めてくるその表情も、まるごと希少な存在だよ。紙で王冠を作ってかぶせてあげたいくらい。きっと似合うだろうな。
しかしこの犬の前歴を俺は何も知らない。彼女はいったい、どこでどのように見いだされ、何年何月何日実家に連れてこられ、いかにして大きくなったのか。昔の診察券はなんとか見つかったので通院の頻度やそのときの状況については獣医師から直接聞き出せたが、それ以外はまったくわからない。軽く家探しすると仔犬の写真が何枚か見つかったものの、ピントがぼやけているうえに日付がなく、そのうえ以前も複数の柴犬を飼育していたため、我が胡麻柴なのかどうか、判断がつかなかった。ならば種々の情報は元の飼い主、つまり当時入院中だった実家の父親に訊けということになるが、一切していない。なぜならその場面を想像するだに辛気臭かったからである。
「どうかここから連れて行ってくれるな我が心の支え犬をばいかにせむ……どうかどうか……」
「いいやどうかそれは無理だとわかってくれ寄る年波には勝てぬものだと思うてくれ後生だからどうかどうか……」
などと、初っ端から湿度びちゃびちゃな、気の滅入るような問答になることが目にみえていたし、宥め透かしているうちに、仔犬の時分の話など聞きそびれてしまっていただろう。ああ面倒くさい…。正直「お前さんにはもう飼う能力も資格もないよ、だからうちに連れていくしここには帰さないよ」とすっぱり言えたらいいのだが、それはそれで酷ではある。ああもう、面倒くさい。いずれにせよ口を開けば面倒なことしか起きないわけで、つまりは面倒くさい。だから「一時預かります」という名目で連れ帰ってきて以来、ほぼ連絡はしていない。便りのないのは元気な報せ、犬はこっちで元気にやってるよ、言わせんなよそんなこと照れるぜ、というか察せ。いや、察しているのか?特にあっちからも何もない。いいことだ。面倒くさくない。
でもさあ、犬よ、君に口が利けたらね。これまでどんなふうに暮らしていたか、何があったのか、話すことができればいいのにね。ねえ、ミナ。
新しい名前を与えられたその日から、呼べば笑顔で振り返ってくるその姿、陸に上がったまぐろのように、急遽買い足したラグの上、ごろんと横になっていびきをかいている姿、かと思えば巨大なケージと化している寝室へ小走りで向かい、あちこちにおやつを隠しては狂ったように掘り返してむしゃむしゃやる姿、かと思えばいきなりお行儀よくお座りの態勢で、黒い瞳をじっと向けてくるその姿。
この姿が、なににもまさるすべてなのだと、いまは問答無用で思う。このままどうか健やかに、一日でも長く、お気楽に自由に生きてほしい。未来のいつか、その命尽きる日まで、君にすべきこと、してあげられることは、この手ですべてかなえよう。だから過去はもうよい。過去なんとか生き抜いて、うちにきてくれた。それだけでよい。あとは、何も、いらない。