「自分を否定する自分」を肯定する

ryu
·

今日、ぐるぐると考えた末に、「自分を否定する自分」を肯定してあげよう。と思えた。その過程を残しておく。

(誰もがありふれて持っていることを、「自分は特別に持っていて悩んでいる」と感じているだけかもしれない。という否定が出てきたが、それも含めて残しておく。)

「自分を否定する自分」について考え始めたきっかけ

最近カウンセリングを受けていて、自分は「何かを考えるたびに、その反対の考えが瞬時に浮かんでしまう」ようだということに気づいた。

例えば、以下のような感じ。

  • 厳しい言葉をかけてきた人がいた時に、「なんでそんな言い方するねん」と思うと同時に、「でも相手にも、あえて厳しく言ってくれているような事情があるはずだ」が出てくる。

  • 「占いを受ける中で、こんなふうに自分を肯定してくれて嬉しい」と思うと同時に「こういう肯定のジャブを入れることで気持ちよくなれるから、占いは支持されるんだろうなあ」という思考も出てくる。

「自分を肯定する自分/主観的な自分」の意見に対して、「自分を否定する自分/客観的っぽい自分」の批判が、常について回っている。

このことを友人に話したら、ざっくりいうと「もう少し自分の主観に自信を持って、肯定してあげてもいいのでは。でないと辛くなりそう」という助言をくれた。(いろんな言い方をしてくれたが、最終的にそう解釈した。違ったらごめんよ)

これについては、その通りだと思った。現に、最近は自己否定する自分、客観的に見ようとする自分によって辛くなっている面がある。

辛いと思っているのに、自分を否定する理由

直感的に出てくる答えは、「不安」だからだ。

1つの視点に偏った意見を持っていると、「あの人は偏った思考・思想を持っているんだな」「周りが見えていないんだな」「客観視ができないんだな」「なんかあの人嫌いだな」と思われるのが怖い、不安に感じる。

やっぱり、「自分を否定する自分」を肯定してあげたい

それから考えてみた結果、「自分を否定する自分」を肯定してあげようと思えた。

なぜ「自分を否定する自分」がいるのか。それが自分と社会を接続し、自分の身の安全を確保していく上で必要なことだと考えているからだ。

もし仮に、「自分を否定する自分」を完全になくしてみたとする。その時に思い浮かぶのは、「他人に対して反射的に思ったことを言って」「自分の意見と違う人を、自分が納得するまで理由を聞いたり説得する」自分が出てくるように感じた。

そんな自分は嫌だ。しかも、そんなことを続けていたら、共に助け合って生きていけたはずの人がどんどん減ってしまう。

その"最悪の事態"を回避するために、自分は「自分を否定する自分」を持っている。もしかしたらその程度が、平均より少し強いかもしれない。けど、バランスを保つのは難しい。明確な線引きもない。(日々試行錯誤しながら、少しずつ調整することはできるが。)

なら、今の時点で最適だと思うくらいには「自分を否定する自分」を認めてあげようではないか。そうすることで、少なくとも「自分を否定する自分」に対して「無くした方がいいのではないか」と悩むことがなくなる。少しだけ、生きる上での迷いが減る。

「自分を否定する自分」のおかげで、少なくとも自分の中ではバランスが取れた、人を傷つけにくいと考えた結果の言動を取れる。それによって、「自分は比較的いろんな人とうまくやっていけるんだ」と、自己を肯定してあげることもできている。

心身のコンディションが悪い時は、「自分を否定する自分」が大きくなって、結果的につらくなることもあるけれど、そうなるのは別に自分がおかしいからではない。似たような悩みを持っている人は一定数いるはずだ。

「自分を否定する自分」の意見も一定認めてあげつつ、「自分を肯定する自分」の意見も聞き、その上で決めたことは「自分の決めたこと」として肯定してあげる。そうやって生きていければ、それでいいじゃないか。

-

あなたは、似たようなことを感じることはありますか?そこまでではないですか?僕自身のために、考えを聞かせてくれると嬉しいです。

@ryu
普段はこころを支えるアプリを作っています。 日々かんがえたことを書いて、気が向いたら公開します @ryuki_kyoto