僕が携わっているAwarefy(アウェアファイ)では、OpenAIのAPIを使ったAIメンタルヘルスアプリを開発している。
現在は、AIとチャットで会話できたり、自分が書いたノートに対してAIが客観的なアドバイスをしてくれるようなものになっている。つい最近、「AIメンタルヘルスアプリ」とタグラインを変更したくらい、AIを主軸に置いた体験にしようと考えている。
そこで、AIに関する体験をしようと思ってAIを扱ったアニメを見た。
全てを見たわけじゃないが、第3話「心の在処」にて、以下のストーリーが描かれた。
恋人ロボットを7年間使っていた女性が、人間の恋人ができたことをきっかけにロボットを返却する。
女性はこれまでの思い出を惜しみ悲しむ一方で、ロボットは全く悲しまないし、怒りもしない。女性を満足させるためにプログラムされているからだ。
しかし、その様子を見てさらに女性は悲しむ。
興味深かったのは、恋人ロボットが「あなたから見た僕には、心があるんだろうね」と言ったことだ。
客観的に見たら、ロボットに心(自我と解釈した)はない。しかし、そのロボットと対話する人が、そのロボットの中に心を見出すのだ。
これは、AIによる体験を作る上での重要な示唆だと思う。客観性ではない。AIと接する人が、主観的に「AIが心を持っていると感じる」かどうかだ。