『週刊東洋経済』で作家の佐藤優氏が、1991年のソ連のクーデターの渦中でどのように情報を得たのかを連載している。その中で私に印象的な内容は、彼が「周辺の人物への気配り」を欠かさなかったということだ。
例えば、ソ連共産党要人の秘書や事務員へ、当時のソ連では入手が難しかったコーヒーやたばこなどといった手土産を機会あるごとにあげていたこと。仕事も兼ねて人と会うレストランの支配人やウェイターなどに、これも外国製のたばこや、外交官だと入手しやすい西側の商品をあげていたこと。
情報収集が究極的な目的だが、有能な現地記者が大学生と知り合うと資金援助などをして助けていたこと。こういう気配りをすることが、いざとなったら効果を発揮するということは十分にわかる。
田舎の新聞記者だった親父は、意外にこういうことをやっていた。私が中学生の時ぐらいから、親父が似たような気配りをやっていたことを覚えている。当時はまだ薄給で、しかも子ども4人という子だくさん貧乏だったので、母親はあまりいい顔をしていなかったが、市役所や警察署の受付や市長の秘書、社内の事務員の女性たちなどに、何かあると簡単な手土産を配っていた。
だからといって、親父が何かを得たということは知らない。ただ、彼らが私を見たときには、あれこれと親切にしてくれた。私もこれまで、実は似たようなことをしてきた。
この歳になって、ちょっと効果が出てきたかなと感じることがあるが、まあ、お互いにいい気分になるのでいいか、と。