読みやすい文章

s81
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この記事はフォロワー(特定個人)のために書いたものだ。

そのフォロワーに、「この記事の文章は、するする頭に入ってきてふしぎ」と言ってもらった。

フォロワーは、病気をしてから、文章を読むのが難しくなったそうなのだ。なのにするする読めてふしぎだった、と。

(小躍り)

そう言ってもらったのは、結構前のことだ。でも嬉しかったので、日記に書く。嬉しかったということを、ふと思い出せたので。

嬉しいことは、砂糖漬けにしていきます。また忘れてしまわないうちにね。

「文章を読むのが難しい」。

私の妹もそうだ。そしてそのフォロワーも、同じなんじゃないかとは思っていた。なんとなく、普段のツイートから、そうではないかと勘づいていた。

そんなフォロワー(特定個人)のために書く記事だ。本人が読めないものにするわけにはいかない。

だから記事の中では、文体を工夫した。

上記の文章も、その文体で書かれている。

「この記事はフォロワー(特定個人)のために書いたものだ。そのフォロワーは、文章を読むのが難しいという症状を抱えている。しかし本人に記事を読んでもらったときは、「この文章はするする頭に入ってきてふしぎ」と言ってもらえた。

(小躍り)

そう言ってもらったのは結構前のことで、今更になってしまうのだけど日記にも書く。うれしかったということをふと思い出せたので、忘れないうちに砂糖漬けにしておきたい。

そのフォロワーが文章を読むのが難しいというのは、普段のツイートから、なんとなくそうではないかと勘づいてはいた。そのフォロワー(特定個人)のために書く文章だから、本人が読めないものにするわけにはいかない。だから文体を工夫して書いた。」

同じ内容の文章だ。これはどちらかというと、普段の書き方に近いと思う。どうだろう? 差は感じるだろうか?

今のもそうだ。

「同じ内容の文章だが、これはどちらかというと、普段の書き方に近い……はずだ」。

そう書いてから、上のように修正した。

一文を短くする

なるべく、ひとつの文に、ひとつの内容。

ふたつの文に分けられるものは、なるべくふたつの文で書く。接続詞で、文を繋げないようにする。

そうすると、短文が連続してしまう。短文が連続すると、文章にばらけた印象が出る。

個人的に、文章がばらけてしまうと、余計に読みづらくなると感じる。短文の連続が、片言のように感じさせてしまうのだと思う。

だから、接続詞はしっかり使う。接続詞で、文章をまとめる。繋げずに、まとめていく。

指示語を使わない

また、内容の反復が多いのも特徴かと思う。

あの記事は、初心者のための記事だ。初心者にとっては、知らない内容がどんどん出てくるものになる。

だから、指示語はなるべく使わなかった。「AはBだ。それはCだ」とするより、「AはBだ。BはCだ」とする。

語と語の区別

また、ひらがなと漢字のバランスも意識した。

ひらけるところは、ひらがなにする。でも、なんでもかんでも、とはいかない。語と語が区別しづらくなって、読みづらくなる。

「でもなんでもかんでもとはいかない」。

これも読みづらいだろうと思う。だから、句読点を増やす。

句読点の場所も、語と語の区別の助けになるところにした。

行を追いやすく

改行も、とても多くした。

しずかなインターネットの仕様で、余白を多く取ることができた。これは、行を目で追うのを楽にするためだ。

脳のメモリ

意識したのは、脳のメモリだ。いわゆる、ワーキングメモリ。ワーキングメモリを極力使わせない文章を意識した。

だから、一文を短くした。

一文が長いと、ワーキングメモリを使わせてしまうんだと思う。文章の後半を読むために、前半の記憶を保持させる。

指示語もそうだ。

指示語は、読者の記憶に頼るものだ。読者に、指示語が登場するまでの記憶を保持させる。ワーキングメモリを使わせる。

読みやすくするのも、そうだ。

ひらがなと漢字のバランスをとる。語と語の区別を円滑にするため。

改行を増やす。行を目で追うのを楽にするため。

これらも、読者に余計な負荷をかけないためのものだ。文章を追うことだけに、集中できるように。文章のためだけに、ワーキングメモリを使えるように。

これらの工夫を、読者が気づかずに読み終えるのが理想だなと思う。「するする読めた。ふしぎ」と思わせるのが一番だ。「この文章は読者を気遣っている」とは、思われたくない。それすらもノイズで、余計な負荷だ。

種明かししちゃったから、これからは気づかれちゃうかもだけど。

あー、うれしかった。「するする読めた。ふしぎ」って言ってもらって嬉しかったです。頑張って書いた甲斐があった!

……にしても。

「これだけじゃない」気がするんだけど。なんか忘れてる。なにか、他にも工夫していたはず。

忘れちゃった。でも、あの記事を読み返すと感じる。他にもまだ何かある。その何かが、文章の読みやすさを決定づけている。

ような気がする。

何を忘れてるんだ……!?(過去の自分の肩を掴んでゆさぶる絵文字)

→思い出しました

同じ内容の反復が、非常に多い。と、読み返していて気がついた。

反復を繰り返しつつ、少しずつ話を進めている。話の進みも、意識的に遅くしている。おそらく、読みやすさの肝は、これだろう。

話の展開を遅くするのと、内容を反復して理解を助けるのを、同時に図っている。たぶん。我ながら、うまい手法かも。

@s81
言葉は膚、わたしとすべてを隔てても、あなたに触れるよすがであれ。