愛も恨みも年単位

s81
·

恨みの話はしないので安心して欲しい。リズムがいいので入れただけだ。語感だけで恐ろしい語を入れるものではない。

またもお金の話だ。支出の見直しの話だ。このタイトルで。

節約本や、節約・貯金の経験談の多くがこう語る。「家計簿をつけてみたら、いらないものの多さに気がついた」と。私も最近、支出記録をつけだした。無駄な浪費は、確かに多かった。固定費や、毎日の食事代が主だ。それらは廃した。偉業。

が、いらない“もの”は、ないのだ。高額なガジェットや、服、ドール、グッズに至るまで。なにひとつ、後悔できなかった。

もともと、買い物をする基準は決めていた。「しばらく経っても、欲しい気持ちがなくなっていないこと」。欲しいものができても、すぐには買わない。数週間、あるいは数ヶ月、下手すると年単位で、買わずに待つ。欲しいと思ったものを、メモすらしない。その欲しいという気持ちが一時的な熱量であるのなら、買った後“買ったという事実”のみで満足してしまうようなものであるのなら、忘れてしまうだろう。本当に欲しいのなら、覚えておけるはずだ。そのようにして、自分を試しているのだ。

そして、全然、もう全ッ然、忘れられないのである。

暗記物とか苦手で基本記憶力ダメダメなのに、一度欲しいと思ったものはずっとずっとずっとずっと全然なにひとつ忘れられないし欲しいのだ。年単位で欲しがって、でも買わず、どうにか忘れようとしてるものが何個もある。

そして、実際に買っても、それが大好きなままだ。大好きなそれが、手元にあるということが嬉しくてしょうがない。身につけるものならば、それで着飾ることができるのが、とても嬉しい。使えるものならば、その性能を毎日でも味わえることが本当に幸せだ。飾るものなら、視界にそれが入るたびに楽しくなってニヤッとしてしまう。所有するって、嬉しい!

だんだんこの、数週間から数年待つという時間が惜しくなってきた。経験的に、自分の「欲しい」気持ちは、ほとんど本物なのだ。それが本物なのか一時的な熱量なのか、自分でかなり正確に判断できるようになってしまった。すると、「欲しいまま待つ」時間が、辛くなってくる。だって、欲しいのは本当だ。どうせ、いつか買うものだ。ならば早く買ったほうが、喜びが長くなるというものだ。だんだん、だんだん、待つ期間が短くなっていった。でもそうして買ったものにも、全然後悔はできていない。そんな感じで、貯金できない人間が出来上がっていったのだ。

でも、やっぱり後悔はない。買ったことに関しては、だが。貯金していなかったことにはやはり結構後悔がある。しかし貯金できない人間期間のおかげで、今私の身の回りには好きなものが溢れている。今着ているのも、自分で選んだ大好きなズボン。独特なシルエットがとても気に入っている。自分で選んだ大好きな靴。雨風を通さず、バイクの足つきも良くなる。自分で選んだ大好きなシャツ。同じものがもう一枚欲しいくらい気に入っている。自分で選んだ大好きなコート。暖かさを調整するギミック付きで、通年で使えるし、何年使ってもへたらない。自分で選んだ大好きなマフラー。ゲームのグッズだけど普段使いできて、しかもとってもあたたかい。自分で選んだ大好きな鞄。革製で、これから育っていくのが楽しみだ。一生使いたい。自分で選んだ大好きなバイク。大好きな大好きな、乗るのが夢だったスーパーカブ。

どれも高かったけど(いや、ワークマンの靴と無印のシャツはそれぞれ1700円くらいだけど)後悔はない。

こうして書き出して、本当に後悔がないなあと思った。幸せだ。好きなものが手元にあるって、ものすごく嬉しいことだ。

こんななので、これから節約をしていくにあたって「欲しい」気持ちとどう付き合っていくかは大きな難問だ。「この欲しい気持ちは本物だ」という理由だけで、何もかも買うわけにはいかないだろう。

とはいえ、家計簿をつけだしてから、この「欲しい!」気持ちがなぜだか落ち着きを見せているのも事実だ。我慢しているわけではない。身の丈を知ったのかもしれない。あるいは、貯金できない期間を経て、満足したのかもしれない。こんなに好きなものに囲まれているんだもの。これ以上何が必要だっていうんだ? いや、やっぱ、それでも欲しいものは欲しいんだけど……。

貯金の目標を定めたことも、理由のひとつかもしれない。欲しい気持ちと同じくらい、私は、1000万円を貯めたいのかも。

@s81
言葉は膚、わたしとすべてを隔てても、あなたに触れるよすがであれ。