おきゃくさんとのお話し中。確か、子どもの頃の記憶の話になったんだったかな?
「あんまり記憶がなくて」とおきゃくさんが言いました。「でも覚えているのは、幼稚園のお泊まり会のことですね。怖い思いをして……」
お泊まり会での、怖い思い。いったいどんな話でしょうか。ちょっと嫌な想定をしてしまい、私はドキドキしながら続きを待ちます。
「ゴキブリがめちゃくちゃいて、もう、群れで」
そういう方向性か〜。
「人生ではじめてゴキブリを見たときだったと思います」
かわいそう。
私も、家にデカすぎるゴキブリが出て、あまりにもデカいのでゴキブリと認識できず、顔を近づけてしげしげと確認してしまった話をしました。それからもうひとつ別のエピソードを思い出したので、「話は少し変わるんですが……」と続けました。
「ダブステップって、ご存知ですか? 音楽ジャンルなんですが」
知らないというおきゃくさんに、「まあ激し目の曲だと思っていただければ」と、軽く説明します。
「その曲がおすすめなんですか?」
首を傾げるおきゃくさんに、私は答えます。
「いえ、これまだゴキブリの話なんですよ……」
その夜、私はひとり、リビングでのんびりしていました。深夜、もう日付も回った頃だったと思います。ゲームをしていたのか、絵でも描いていたのか……iPadで何かしていたのは覚えています。
と、そこに、小さなゴキブリが現れました。結構ちっちゃいやつです。まだちょっとトロい。
私は咄嗟に、すぐそこにあったゴミ箱から──プラスチック勢の升を手に取りました。升というか、升風の飾りですね。飾り終わって、捨ててあったやつです。そして、それを、ゴキブリに被せました。咄嗟の判断でした。
…………。
えっ、これ、どうしよう。
升をどければ、ゴキブリは逃げるでしょう。しかも、不透明ですし、どちらに逃げるか分かりません。殺虫剤を使おうにも、升で封じられていますから、成分が届かないかもしれません。
しかしそこで、ふと思い出す記憶がありました。
『ゴキブリを箱などで捕まえて、その箱を叩いたりして脅してから逃がすと、ゴキブリがゴキブリに“この家は危ないゴキ!”と伝えて回るので、ゴキブリが出なくなる』──そんな、インターネット都市伝説です。
やってみよう、と私は思い立ちました。思い立ってしまいました。
しかし、「箱を叩く」などという、生ぬるい方法でゴキブリがビビるでしょうか。私は考えます。あと、升、小さいし、軽いし。下手に叩くと、ひっくり返してしまいそうです。精々、ひっくり返さないようにコツコツ小突くのが限界でしょうか。そんなんであのゴキがビビるとは思えません。
……しかし、升をひっくり返さず、しかしゴキをしこたまビビらせる方法を、私は思いつきました。
まず、iPhoneで強そうなダブステのプレイリストを流します。ヴァーーヴォーーダッダダッダダ
そして音量を最大にします。
升の上に置きます。
深夜0時、家族に迷惑なので、上から毛布を被せて防音します。
……できました。聴かせてやりましょう、この激アツなサウンド、人類の叡智を、ゴキブリに。
ちなみになんでダブステにしたのかというと、強そうなのと、ハマってたからです。
そして私は、iPadでのお絵描きだかゲームだかに戻りました。
熱中してしまっていました。2時間くらい経っています。私は、そろそろゴキブリを解放してやることにしました。
升をどけたら、飛び出してくるかもしれません。それは嫌ですが……「ゴキブリを逃がす」という手順が、この都市伝説を完成させるには必要です。やむを得ません。
升をどかし、念の為に私も飛び退くと……
へろへろ……よたよた……と、ゴキブリが出てきました。そうなるよな。自分の体よりもデカいスピーカーで、大音量を浴びせ続けられたんだもんな。2時間。しかもダブステ。むしろよく歩けるよ。
ゴキブリはへろへろと、家具の影へと逃げていったのでした。
そしてそれから2年ほど、我が家のゴキブリ目撃情報はパッタリと止んだのでした。
おきゃくさんには「おもしれー女ですね……」「他のリハビリの、末広さんと同年代の女性って、ディズニーの話とか食べ物の話とかするんですけど……ゴキブリにダブステップを聞かせた話をされたのは初めてです」と言われました。
「初めてでよかったです」と、私は答えたのでした。よくはない。