学歴という言葉にはいくつかの意味があるようだが、ここでは正確さよりも出身大学の偏差値の高さという一般的に想定される使われ方を用いる。
そして学歴コンプとは、自身と周囲の学歴のギャップから自身の無能感や恥じらいが生じてしまう心理的な状態を指す。
それをふまえて言うと、私には学歴コンプが少なからずある。
私はソフトウェア工学系の大学を出てはいるものの、いわゆる駅弁大学と揶揄されるカテゴリで、偏差値も50前後だ。しかも AO 入試で入学しているため、大学受験すらロクにしていない。
ひょんなことから都内の大手企業に新卒で入社した私に同期は、東京大学、京都大学を始めとした、いわゆる高学歴ばかりだった。
同期だけではなく、先輩や上司、翌年以降に入社する後輩も同程度だ。私を採用した人事は大胆な採用をしたなと今でも思う。当時の社長が、「東大出身ばかりいてもつまらない」みたいな話をどこかでしていたような気もするが、それにしても極端すぎやしないか。
一社目は自身にも経歴というものが何も無い以上、その環境に飲まれないようにするために、私は必死で仕事に打ち込んだ。結果何処かで事切れて、早い段階で退職し、二社目へと転職。そこから少しずつ技術的な経験を重ねて、三社目、四社目と今に至る。
もちろん二社目以降にも多くの高学歴な同僚に囲まれた。日々苛まれることは少しずつ減ってきた。今は経験を積み重ねてキャリアップを経て、給料も世代平均より遥かに稼げるようになり、おそらくは自分より収入の少ない東大出身者も少なくはないだろう。それでも大学の話になると少し辛い気持ちになる。
仕事も十分できて(比較的)高収入。その上で何が辛いんだろうか。少し考えてみると、その根底には、社会的な評価や他人の目に対する過度な意識があるように思える。あえて言うなら、高学歴な人は自分のことを見下していると思いこんでいる。おそらくはそんなことはない。相手は何も気にしてもいないのだろうけど、そういった感情はなかなか払拭できない。
ここまでキャリアを重ねてきてもそういった感情が消えない以上は、もうこれと一生向き合うしかないなと覚悟を決めている。この覚悟があるからこそ、見下されてたまるかという気持ちをバネに頑張れている側面もあるし、躇いなく教えを請うこともできる。
そう考えると学歴コンプというのも悪くないかもしれない。ありがとう学生時代の自分。いややっぱもっと勉強して良い大学行ってくれ。あと奨学金借り過ぎだ。