夢の日記と短歌

谷澤
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世界中に二百八十種類いる亀たち無言で運ばれている

いくらでも眠れると思い眠れていたころ好きだったロフト付きの部屋

夢はひとりでみるものとして走馬灯にあふれそうな夜桜を見に行く

マリンバのような楽器を叩くまだ言葉になれない悩みのために

きんいろのポーチを提げてその夏に一度きり買ってみた竜眼

なけなしの冒険心に浸るとき二つ名をさぼてんにしている

見ず知らずの人でありたい永遠にこのカフェに初めて来るような

愛しのカンタロープメロンが食道を通り記憶に鎮座していく

楽隊のマーチを追って追い抜いてわたしはひとりが平気であった

陸亀はガチャガチャ生まれ年老いることなく脚をまるめて過ごす

時事ニュース追う最中の雨の夜の停電は人を灯台にして

やわらかさよりも重さがずっときてバスタオルを使いこなせない

ありきたりな心象風景でもよくてこれはわたしが浚った砂漠

ささやかな日差しに壊れてゆける亀の玩具 夢はひとりでみるもの


夜桜をみたことが記憶にない。あるかもしれないが覚えていない。ただ夜桜には人間の執着心というものを強く感じる。ライトアップという行い自体にそう感じる。

むかし水棲亀を飼っていたとき、亀の佇まい、ありよう、にかなり惹かれ、そこから「生まれ変わったら亀か鳥になりたい」と思うようになった。空飛ぶ亀になれるとベストだ。でも最近は牧場の動画をたくさん観ている影響があり、牧羊犬もいいな…と思い始めている。

植物になるならサボテンがいい。乾いた土地でこそでっかくなるやつがいい。調べてみたら本当に色んな種類があるらしく、ドラゴンフルーツもサボテン科の1種だったことを知った。

学生時代に京都の寺社を何度かぶらぶら巡っていたことがある。ある日は混む時間帯を避けたくて朝早い電車に乗って清水寺へ行った。着いたのはたしか開門される6時ちょうどくらいだったはずだ。中をある程度歩いて現れるちいさな池にちいさな鷺が立っていた。それがあまりに目の前にいて、人間が1mほどの距離まで近寄ってもガーデニングオーナメントのように動かなかった。足下では鯉が泳いでいた。

日記として短歌をつくるのは苦手で、でも日記のような短歌なら作れたりする。わたしは逃避行するために創作をしている。物事を夢みるままに編み上げて歌にするのは楽しい。現実的な苦痛を綿雲に乗せて遠くへ飛ばすような心持ちになることが多い。言葉遊びに夢中になっているうちは安らかでいられることが多い。

昨日ひどい寝不足で心身の調子にてきめんに響いてしまったため、今は仕事を休みお粥を食べて過ごしている。今日はちゃんと寝つけますように。